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ペロポネソス半島その4 ディコフトC
前回[837]で草軽云々と書きながら、肝心の写真を失念した。今回1コマ目に入れておく。端梁の連結器(小生は事の外軽便の連結器に興味がある)をご覧いただきたい。
中央にバッファーが、その左右に小型の螺旋連環連結器があるが、このような方式では、カーブで外側の連結器のみに力がかかり切れる恐れがある。そのため左右の連結器が均等に負担するよう、イコライザーがついている。
そのイコライザーは我国鉄道連隊600mm軌間用のように外側でなく、端梁の内側に仕込まれているので、外からは見えない。
駅近くにはアブト機関車が1両、綺麗に修復されて保存展示されている。この鉄道はフランス技術(恐らく資本も)で建設された。オスマントルコからの独立時、フランス革命後のフランスから義勇兵が多数参加するなど国益・算盤がらみで支援した。その影響であろう。
義勇兵の中には、文豪アレキサンドル・デュマの超大作「モンテ・クリスト伯爵」の主要人物の1人のように、ギリシャを助けながら密かに裏切り、ヤニナ(ギリシャ北方都市)と恩人の妻娘をトルコに売り渡して財を成し、貴族に成り上がった手合もいるが。
初日の夕食はディアコフトのタベルナ(庶民レストラン)で。メニューは当然だがギリシャ語ばかりでさっぱり分からず、肩をすくめると親父が有無を言わせず我々を厨房に連行。6つ7つ並んだアルミの大きな寸胴鍋の蓋を片端からあけて覗かせ、目で見て確かめろ、と言ったんだと思う。
納得づくで3品をハーフ、1品フルで注文。それに大ジョッキ程のデカンタになみなみと盛られたハウスワイン、2人で3,250ドラクマ=1人600円弱で、これはうまかったねェ。
翌朝も快晴。気分のいいディアコフト機関支区の大木には小鳥が群がり、そのさえずりが清清しい。我々は地図を頼りにコリントス側に4キロ程戻り、山道に入ってディアコフトを目指した。前回の地図をクリックし拡大してご覧頂きたい。赤い羊腸たる線がそうである。
道は覚悟していたよりいいが、夜は走りたくない。途中2か所ほど新道があって道標がなく、我々は民家のある旧道に入ってしまい、住民に「カラブリタ?」と語尾を上げて問えば、一生懸命「あっちあっち(といったはず)」と指差してくれる。
鉄道だと22kmだが道路では地図上で35km程、小一時間を要した。終点駅の施錠された車庫の窓を覗くと、復元・整備された蒸気機関車と客車各1両が納められていた。シーズンに何回か走るらしく、トーマスクック時間表の6〜9月のみ運行云々は、このトラディッショナルトレインのことを誤り記載していたらしい。
一駅戻って無人の駅に車を置き、列車でディアコフトまでの1往復を試みた。これからが実は一騒ぎになるのだが。
【保存貨車2.jpg : 141.4KB】
【保存機関車.jpg : 167.4KB】
【終点カラブリタ.jpg : 284.7KB】
【静かな無人停留場.jpg : 211.0KB】
【中間駅で.jpg : 257.5KB】
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