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いまではカーテン付きの客車なんて珍しくないが、老人が若い頃は先ずお目にかからなかった。窓構造のことを考えると、カーテンレール1本取り付けで済むのだから、安価で軽量化に寄与したことであろう。アメリカ・インターバンには、とても豪華なドレープが吊るされている例があり、職業意識を燃やしたものである。閑話休題。
仏生山、今橋車庫で競い合って鋼体化工事をやっていた時、こんな話を聞いた。先ず国鉄福塩線で休車中であったクハ6、モハ1を譲り受け6000形610、620号とした。610は局部改修で営業についたが、620は木部を徹底的に張替え、台車も近鉄から譲り受けたB.W.タイプのもので登場した。610はすぐガタガタになり、1960年春に仏生山詣での時は鋼体化工事の最中であった。「610のモニター部分に風道を設け、強制換気吸気が出来るようにする。」このアイデァが実現したのかどうか、その後乗ったことがないから知らないままである。次いで1964年訪問の時のことだが、高知客貨車区にあったオハ31137、31299を購入し、仏生山庫に錆びだらけで留置してあるのを眼にした。向井工場長は瓦町駅構内にあった木造2階建ての車両課に転任され課長となられた。さっそく訪問、オハをどうするのか聞いてみた。「両端デッキ部分を運転台にし、3扉の制御車として琴平線の木造車を一掃する。」その後、台枠利用の新車体となったのはご存知の通りである。両妻端面下部を見ればその名残が確認できる。(P50)
向井課長を訪ねたのにはもう一つ話があった。1960年春の時、「鋼製車で15m級、巾2.5m程度の車体の出物はないかなぁ」と持ちかけられた。思い付いたのは阪急320、380、500形である。しかし支線区でまだ使用中であり、手放さないであろうと、申し上げた。「ほかにないかなぁ?」そうだ、阪神の小型車群があるぞ。「阪神は大型車導入で小型車の整理をしています。いま残っているものの中でも、急行用の850形以降のものが良いのではないでしょうか。車体の手入れも行き届いているし、少し小ぶりだが65馬力モーター4個です。」「そのモーター何アンペアー?」 さぁ素人のかなしさ、即座に返答が出来ない。「帰宅したら資料を送ります。」 そこで奥野利夫師匠宅へ駆け込み、「かくかくしかじか」。形式図その他を取り揃えて貰い、送ることができた。その結果が聞きたかった。
「お蔭で日下部長が民鉄協会中小部会を通じて問い合わせたところ、阪神さんから詳細なお返事を頂く事ができ、近じか現車が入ります。長尾線専用とし、念願であった木造車の全車追放が出来ることになります。」
今回の変なものものは琴電デカ1(51)と、この車のプロトタイプになったのかどうか知らないが、阪神の中央運転台の貨車(P52、53)としよう。デカ1は貨物台に側面に向け仮設スロープを設置するとバラス運搬が可能。その後レッカーを装備した。阪神(113、115)は長物(レール、電柱、枕木等)専用で貨物台はフラットであった。114は架線修理台があった。阪神は1959年秋の撮影である。
【変50.JPG : 40.5KB】
【変51.JPG : 65.1KB】
【変52.JPG : 98.1KB】
【変53.JPG : 96.1KB】
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