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旧ろう10日、吉田耕司氏のご発案にすぐ応じたヒマ人計5名は、当日から有効の青春18切符で四国は高松琴平電鉄へ。
周りが老人ばかりだと、己の歳を忘れてボヤキながら皆の衆は四国へ琴平へ。この連中はこんぴらさんなど眼中になく、一気に讃岐そば屋へ。それから1日乗車券で全線を走破した。その合間に寸暇を惜しんで酒を食らっている嘆かわしい老人予備軍も約1名。
ボケかけ老人はハッと想い出すことがあった。50年前老人がまだ若いころ、確か一度写真を撮ってるはずだ!と。探してみると果たしてあった。まだボケ加減は大した事ないと喜んだが、古いことだけ覚えているもんだとの憎まれ口も。
こっちは元来電車なんぞどうでもいいんだが、たまたま同志社へ入学が確定した1957年3月、山陽九州への行きがけの駄賃で立ち寄ったと記憶するが、当時確か志度線のみ600V、琴平線、長尾線は1500Vだったか。
大型単車は1型で、元来オープンデッキだが外釣扉に改造されているものもある。50型はオリジナルの戸袋窓が楕円。20/60/70型は京浜急行が供出した車両で、特に20型は5枚窓妻・側面窓上明かり窓がクラシックである。80型は山陽のお古。
しかし詳しい解説は当然乙訓のご老人の役目である。直ちに義務を果たされたい。
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