DRFC-BBS
※容量制限により削除された06年1月31日までの投稿写真を一部復活しました。詳細はこちら。
※新掲示板へ移行したため、この掲示板への投稿は受け付けておりません。

新掲示板アドレス(2008.08.03〜)
http://drfc-ob.com/wp/
左のフレームが表示されていない場合はトップページへ移動してください。

 投稿者絞り込み:   ページ移動:  
  新規投稿 ┃ツリー表示 ┃一覧表示 ┃検索 ┃設定 ┃ホーム  
688 / 1210 ツリー ←次ページ前ページ→

【693】はきだめの富山港線 乙訓の老人 06/11/23(木) 14:00
【703】続 はきだめの富山港線 乙訓の老人 06/12/2(土) 15:13 [添付][添付][添付]

【693】はきだめの富山港線
 乙訓の老人  - 06/11/23(木) 14:00 -
  
11月11日付で須磨の大人から〔679〕なるドスを突きつけられ、老人はオタオタしている。幸い弘津君の強烈な援護射撃により、大人が須磨海岸で松の枝ぶりを探すことなくホッとしている。1953年3月といえば同中2年の期末試験で悪戦苦闘していたことであろう。この頃、母の体調悪化のため家事手伝いで電車どころではなかった。
さて、ドスをどの様にかわすか一計を講じてみた。思いついたのは佐竹先輩の「買収国電」とピク誌28号と老人の呆ける前の記憶である。以下、綴ってみる。
まずセミボだが、20、21ともに1953年3月に富山港線での役割を終え松任工場に収容された。2両は1951年にTc化されたとか。(レイルロード社・高間氏の調査)
20は静岡鉄道に払い下げされクハ7となり、静鉄の戦前製300型(路面乗降型で前面が丸い)とMTc編成となった。新静岡で1959年に撮った記憶があるから、そのうちフィルムの虫干しなどしてみよう。大人も静鉄には頻繁に行っていたから、心当たりがある筈である。21は1954年電化された岳南鉄道に払い下げられた。現番号のままクハ21を名乗った。1962年に終点・岳南江尾まで行った時、休車となっていた。フィルムは「三八豪雪」で焼失した。
デ101、200は買収により「ハ」が付けられた。改番後はモハ1900と?である。吉川文夫氏の調査ではナヤ16872に1952年に改造されたとか。共に元伊奈電の木造国電型として知られている。モハ1900は僚友1901と共に1955、54年に北陸鉄道に払い下げられ、モハ851,852となり浅野川線に入線した。1961年訪問の時は予備車扱いで、七ッ屋車庫であくびをしていた。伊奈電の後輩、41500のなれの果て、加南線からトコロテンや玉の輿入れ等があった結果である。
モハ2020は旧南武のモハ505、可部線を経て1960年頃の転入。この頃から買収国電の掃き溜めの坩堝と富山港線はなる。モハ1310は旧宇部鉄道モハ21、1954年にモハ23→モハ1302と共にやってきた。昇圧まで使用された。モハ2326は旧宮城電鉄モハ807。宮城800型の中で唯一、故郷を離れ宇部、可部と流転の果て、富山が安住の地となり昇圧まで居座った。まさにはきだめの「鶴」であった。記憶では増結車として重宝されていたようだ。 (つづく)
引用なし
パスワード
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@p4158-ipad04kyoto.kyoto.ocn.ne.jp>

【703】続 はきだめの富山港線
 乙訓の老人  - 06/12/2(土) 15:13 -
  
続 はきだめの富山港線
前稿を打ち終わったところへ、関東のローカル私鉄を紹介したオッサンが玉座に参入した。文字だけならこのまま掲示板にのりますよ、と言ってカシャカシャ操作してくれたのが〔693〕である。校正なしだからスカタンが4箇所あった。先ず訂正からスタートする。

1.「静鉄の戦前製300型(路面乗降型で前面が丸い)とMTc編成となった。」→追加説明「静鉄300型は220型220号→モハ7号」
2.「モハ1900と?」→「モハ1900とナヤ16872」ナヤは買収国電への改番なしかな。
3.「モハ1310」→「宇部鉄道モハ21→モハ1301」
4.「宮城800型の中で唯一、故郷を離れ宇部、可部と流転の果て、富山が安住の地となり昇圧まで居座った。」→追加説明「宮城モハ807は富山には数年で、昇圧まで居座っていなかった。1961年梅雨時、城川原区でいろんな話をきかせて貰ったが、その内の一つだろう。」

いよいよ本題となる。〔680〕のデ10の写真を見てびっくり仰天! 名古屋電気鉄道デシ500型ではないか。押切町から犬山、東一宮、津島へと郊外線が開通していったのが1912年からである。その時、郊外線用のため新造したのがデシ500型である。この年には四国高松、讃岐水力(現高琴電鉄)もブリル製のラジアル台車を採用している。日本では、この2社と神戸電鉄(神戸市電)がラジアル台車を大量に採用した。
富岩ボ1,2は買収後の1948年に富山地方鉄道に払い下げられた後、高岡伏木線(現万葉線)で使用された。高岡伏木線は開業当初、日立電鉄や旧大沼電鉄の中古4輪車であったが、その後、米島口〜新湊間開通によりボ1,2にステップを付け、当線に投入された。富地鉄改番によりデハ6001,6002となり、デハ5000系投入後はデニとなり、荷物車どころか除雪車となった。6001は米島口車庫に配置、6002は千歳町車庫に配置され富山市内線、笹津線で使用された。写真の6002は千歳町車庫でのもの。南富山移転後、ボーリング場となった。
今は?、後ろの築堤上の北側の線を富岩電鉄が走っていた。「三八豪雪」で見た除雪車は6001の方であった。                             (つづく)

添付画像
【富山1.JPG : 77.9KB】

添付画像
【富山2.JPG : 88.2KB】

添付画像
【富山3.JPG : 75.1KB】
引用なし
パスワード

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 富山1.JPG
・サイズ : 77.9KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 富山2.JPG
・サイズ : 88.2KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 富山3.JPG
・サイズ : 75.1KB
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja-JP; rv:1.4) Gecko/20030624 Netscap...@183.39.150.220.ap.yournet.ne.jp>

  新規投稿 ┃ツリー表示 ┃一覧表示 ┃検索 ┃設定 ┃ホーム  
688 / 1210 ツリー ←次ページ前ページ→
ページ:  ┃  記事番号:   
(SS)C-BOARD v3.5.4 is Free.
掲示板についてのお問い合わせはこちら。