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米子に単身赴任から1ケ月近くの9月初旬、かねてから聞いていた消えた鉄道の1つ『本勝寺鉄道』について調べてみると、何と今自分が住まいしているJR米子駅裏の場所が、本勝寺鉄道の始発駅の跡地だと分りました。
これは、何かの縁。古い地図を見ながら、チャリンコで線路跡を捜しながら、私としては、初めての痕跡が残っているのかの探索に出かけました。
本勝寺鉄道は、当時『本勝寺軽便鉄道』として、大正13年7月8日に米子〜大袋が運行開始、8月12日には、社名を『伯陽電鉄』に変更し、大袋〜本勝寺も運行開始しました。
全線は、12.4km。昭和4年12月には、支線の阿賀〜母里(5.3km)も運行開始しましたが、経営難が続き、昭和19年には支線廃止。その後も経営は好転せず昭和42年5月14日に全線廃止となりました。
経営難が続いたのは、国鉄米子駅に乗り入れていなく、乗り継ぐにはローカル線には珍しい開かずの踏切が大きな要因だったとの事です。
実際今でも毎朝通るこの踏切は存在していて、山陰・伯備・境線が交差して1日200回以上の開き閉めがあります。そして、今の米子駅舎の場所には貨物駅もあり、SLによる貨車の切り離し連結作業の度に踏切は閉じられ、1日中開く事がまれだったと当時踏切当番をしていた我社の国鉄OBは申します。
このため、地下道ができましたが、それでも徒歩10分近くの接続時間が必要で、利用者離れ阻止には至らなかったようです。
消えた鉄道『本勝寺鉄道』の痕跡は、住まいを出てから迷走しました。当時田んぼだった場所は、住宅地と化して、放水路もできています。老人を見つけては、過去の様子を聞きながらの探索でした。
しばらくしてから、ようやくホーム跡を見つけました。郊外に出てからは、線路跡は道路と化していて分りましたが、途中は、田んぼの区画整理で痕跡そのものが消滅しており、付近の農家に立ち寄り聞く以外に方法はありません。
その都度に嫌な顔せず親切に昔はここに駅があったとか、変電所があったとか、いろいろと乗車した貴重なお話を長々と聞かせていただきました。米子の人は、本当に良いもんだと実感しました。
終点の本勝寺駅は、郵便局になっていました。近くの小学校に保存されている203号車を見に行きましたが、窓ガラスが2枚割られているだけで、保存状態は非常に良く安心しました。廃止後約40年。米子市内に復元保存されています日本最古の客車といい、大切に労り保存に協力されています方々に敬意を表します。
【日本最古の客車.jpg : 260.4KB】
【日本最古の客車の説明.jpg : 298.0KB】
【法勝寺鉄道路線図駅名付A4.jpg : 409.9KB】
【本勝寺鉄道路線跡.jpg : 297.2KB】
【西伯小学校の203.jpg : 284.2KB】
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