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【1721】の藤本さんの故大西顧問の話、たいへん懐かしい思いで読ませてもらいました。ホントに北白川のお宅にはよく行きましたね。
あつかましくも、夕食までいただきながら夜遅くまで話し込んだものです。でも大西さんはイヤな顔せず、いつもニコニコ応対していただきました。
考えたら、私が最後に大西さんに会ったのは京阪鴨東線開業の日。奇しくも昨日、京阪中之島線の開業日とダイヤがリリースされました。あれから20年が経ちました。
それともうひとつ、以前の古写真の考証で、京福四条大宮駅の看板「新世紀京都博」に着目されたこと、さすがの慧眼だと感嘆しました。確かに私も八瀬まで博覧会を見に行った記憶があります。各地でこのような博覧会が盛んに行われていた時代でした。そう思い、アルバムを見ていたら、新世紀博に展示されていたSLの写真が出てきました(写真1)。小田原−熱海間を結んでいた熱海鉄道の7号機で、その当時、鷹取工場に保存されていたもので、現在では熱海駅前に保存展示されています。
このころの八瀬は線路沿いに桜のトンネルが続いていました。博覧会場から眺める高野川を渡る叡電は一服の絵でした(写真2)。電車はデナ1型3+4の固定2両編成で、まだ木造車が幅を利かせていました。写真の日付を見ると昭和39年4月となっていました。藤本さんの記述と少し違いますので、なお考証を続けます。
この八瀬改め八瀬比叡山口へ、先ごろ澤村、井原、津田の各氏と桜の撮影に行き、久しぶりに仲間と写真を撮りながら旧交を暖めました(写真3)。ところが、博覧会跡地は大型のリゾートホテルになり、桜も伐採されてほとんど姿を消し、とてもトンネルとは言えない状況です。おまけに線路沿いに駆け上がって写真を撮ろうとすると、遠くから監視していた駅員に怒鳴られ、すっかり様変わりした叡電に驚いたり納得したりの一日でした。
【写真1 熱海鉄道のSL.jpg : 32.0KB】
【写真2 八瀬を行く木造車.jpg : 43.0KB】
【写真3 八瀬比叡山口.jpg : 405.3KB】
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