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100年前の新聞記事を「無理やり」読まされて、何やら体がかゆくなったなどと抜かす柔弱野郎がいる。これはもっと鍛えねばならんと、諸兄の迷惑そうな目なんぞ一切無視して今回は京阪大特集で追い討ちを。
先ずは鉄道時報1914(大正3)年5月31日号の名古屋電車製作所の広告から。京阪1型35号であろう。
2コマ目も同日同紙の天野車両製造工場製京津18号。これは同紙提灯持ち記事に挿入されていた写真である。ちなみに我々現役時代の京津20型(汽車会社敗戦後製真四角の粗製乱造電車)はこの台車(と機器も?)を使っている。
3、4コマ目は1913年4月4日京阪上り線で発生した25、24、23、22、9号がからむ大衝突事件で、軌道だから当時は閉塞信号がなかったのである。記事を全部打ち直すのが面倒で、スキャナーからの出力そのままだから読みづらい。画面をクリックし拡大してからお読みあれ。それにしても9号を除き綺麗に番号通り運行していたものだ。掲載は鉄道時報1913年4月12日号である。
と、これでまたまた、乙訓老人のお出ましがないと納まるまいて。速やかに義務を果されたい。
【鉄道時報1914.5.jpg : 204.9KB】
【鉄道時報1914.5.31.jpg : 212.4KB】
【京阪大衝突1.jpg : 195.6KB】
【京阪大衝突2.jpg : 379.0KB】
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