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▼総本家・青信号特派員さん:
>その向こうに見えるのが、冬期のスキー客の宿泊用として、留置されているオハ31である。スキーシーズン以外は施錠されて利用することができないが、座席に板を渡し、そこで貸し寝袋で寝るようになっていたらしい。当時、龍ヶ森にはまったく人家がなく、こんな急ごしらえの宿泊設備でも利用客があったようだ。
>ハデな塗色であったことだけは記憶の中に残っていたが、改めてカラーで見直すと、17mダブルルーフ客車におよそ不似合いな厚化粧である。
1966(昭和41)年1月と、翌1967(昭和42)年1月の三晩客車ヒュッテに宿泊の経験があります。三段ベッドで毛布がありなかなか快適だった思い出があります。家族連れも結構宿泊していました。当時のもりてつニュースに案内があります。
当時スキー場への来場者は全員鉄道利用でした。シーズン中は盛岡方面からは直通の臨時客車列車が一往復あり、盛鉄の8600が曳いていました。一昨日は山田線で見た68622が今日の牽引だったりしました。大館からも盛岡行き客車列車が朝方到着しました。あとはディーゼル利用です。結構人が多く、乗降には随分時間がかかりました。『全員乗せてくださいね』表題の大阪通信員さんの作品が一昨年のDRFC写真展にありました。
1967年宿泊の時に、現在の大阪通信員さん、池田市のYさん二人と偶然、駅南方の撮影現場で出会いました。その後客車ヒュッテで食事をしました。その時のカラー写真がありますが、不幸にも顔の部分が傷んでいますので、掲載をあきらめました。モノクロは無傷でこちらの写真はHPに掲載済みです。
お陰様で40年前の感傷に浸っています。
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