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先回恐る恐る拙いクイズを出したら、何と何と、僅か200分後に藤本哲男氏からお答え―それも満点の―があって、老人は嬉しいやら、恐ろしい?やら。改めて当会メンバーの厚みに感心しましたぞ。思わず出た言葉「オロナイン軟膏三つ上げてください。」この意味が分かる人は間違いなく前期高齢者である。
そういえば、故羽村 宏先輩は「青信号」誌にクイズばかり投稿した「大好き人間」だった。
と、すっかり気をよくした老人は、すかさず第二問に。東海道本線山科大築堤(半径600m、勾配10‰)の東端、国道2号線橋梁上を走るキハ20の3連である。撮影日は失念したが1957年か58年か。
草津線は蒸機時代京都始発で、京都−草津間はローカルを兼ねたC51牽引だった。1956年11月19日の東海道線電化完了で京都−草津間は電機牽引に、その後段階的にDC化されたが、列車は全て草津始発になり乗換えが必要になった。
この時点裏縦貫線直通は「日本海」(急行)と各停が2本あったが、ディーゼル特急「白鳥」なんぞ想像もできなかった。すなわち山科を通るDC列車はないはずである。然るにこのキハ20の3連は如何なる列車か。諸兄の解説ないし薀蓄を披瀝されたい。
なお山科大築堤はこの時点まだ花山(かさん)地区住民の京津線御陵への近道=生活道路の一面が残り、勿論国鉄は枕木で柵を作るなどして通行禁止に努めてはいたが、すぐ獣道が復活した。小生は築堤上を自転車で走ったこともある。
湖西線に合わせ複々線化され、通行は完全にシャットアウト。東山随道東口の踏切も立体化され、琵琶湖疏水から下りる小道も消滅。ついでながらこの区間は戦時中に三線化=上りが線増しされたもので、建設に従事した朝鮮半島出身者が山科に集落を作って住み着き、小生の小学校時代の親友の一人もその子弟だった。
【山科キハ20×3.jpg : 370.4KB】
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