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▼総本家・青信号特派員さん:
>龍ヶ森のオハ31
龍ケ森はその後駅名が変わり、安比高原になった。
重そうな駅名より「・・高原」の方が垢抜けて洒落ているのだろうが、
軽くて安っぽい感じもする。
龍ケ森といえば、総天然色ではなく部分天然色の思い出がある。
昭和44年夏の大狂化合宿の折、テントを張って就寝中、
夜中に雨が降ってきて、ほとんどの会員は近くの小屋に避難したが、
同じテントだった三重県出身のT氏は水がテントの中に入ってきても
頑として動かず、ローソクの火でスルメを炙ってうまそうに食べ、
私にも勧めるので少しもらって食べた。ところが、翌日解散後、
青森で時間が余ったので、同行の京都市五条のS氏と駅近くの
映画館に入ってパートカラーの映画鑑賞中だんだん腹が痛くなり、
トイレに行っても治まらず、映画どころではなくなり
やむを得ず途中で映画館を出て駅に戻り一時預かりからリュックを出し、
S氏に薬をもらって飲んでしばらくしてようやく回復した。
S氏にはたいへんご迷惑をかけた。この場を借りて深くお詫び申し上げる。
後で聞くと、T氏はピンピンして何事もなく無事帰還されたそうな。
龍ケ森のオハ31をご覧にいれる。
43年8月27日と44年8月26日の撮影である。
この1年間に塗装が変わった。5両のうち、オハ31179(広島で廃車)
だけ番号が判明している。『盛岡鉄道管理局25年史』には
「国鉄ヒュッテ」は42年12月から開設されたと記されているが
これは誤りで、35年12月10日が正しい。
その後、50年頃にオシ172016+スハ32×2両と交代し、
お役御免となった。
【43.jpg : 124.3KB】
【44.jpg : 115.6KB】
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