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【1449】で藤本先輩より飯田線の写真について問いかけを頂きましたが
あの、写真は七久保−伊那本郷で間違いありません。
先輩方の書き込みを拝見していると、きっちり記憶と記録があり
すごいの一言しかありません。私は不精なので記憶の記録も曖昧ですが
前後のコマから推測すると多分1983年3月15日の撮影と思われます。
写真班の春季撮影旅行とノートの記録があるので、同じ写真を保持して
いる方は他にもおられると思います。
この時私は、3/14に家を出て東京に向かい青梅線でED16を撮影し
夜に新宿から441Mで上諏訪へ急行天竜1号で辰野に行き6:31発の
226Mで大田切へ30分ほどの間に1〜2本撮影し8:13発の232Mで
七久保へ、ここで件の写真などを撮影し13:15発の240Mで上片桐へ
行きこの日は天竜峡泊。3/16は金野、市田、下平、辺りで撮影し
駒ヶ根泊。3/17は赤木辺りで撮影後聖地伊那松島へ行き13:17発の
急行伊那1号で上諏訪→小淵沢→小諸→上田(夕食)→軽井沢で
小海線を乗り潰して23:24発の急行能登601レで富山へ行き、高山本線
に乗り継ぎ神岡線を走破して高山→下呂→岐阜→(米原)→大阪の行程で
当時の信州ワイド周遊券を目一杯使用した行程でした。
高山は季節はずれの雪で結局早くに切り上げたので大阪着は17:39と
夕刻には帰阪しています。
当時は飯田線旧国最後の冬ということで何度か通っていました。
旧国は子供の頃、最寄の国鉄が阪和線であったので非常に愛着があり
ました。阪和線は東海道線のお下がりが来る路線で、旧国は評判が
悪かった(雨漏りがする、夏暑いなど)のですが、独特の匂いや
釣り掛けのモーター音が好きでした。阪和線(紀勢本線、阪和貨物線
も含む)は当時、ブルドックのキハ81やEF52、EF15、70系など
バラエティに富んだ車輌が走っており、線路端で飽きることは
ありませんでした。その、線路端も先年高架になり当時の面影はなく
阪和貨物線も休止となり、時代の移り変わりを感じます。
写真は1、2枚は同じ日に撮影したもの、3枚目は1976年3月31日の
豊橋駅、4枚目は1975年11月3日の天オト、5枚目は4枚目と同じ日の
美章園駅で70系+旧国2連です。
【IMG_0029.jpg : 296.0KB】
【IMG_0034.jpg : 237.4KB】
【IMG_0002.jpg : 214.9KB】
【IMG_0081.jpg : 257.8KB】
【IMG_0090.jpg : 240.3KB】
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