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RM107 富山地鉄 笹津・射水線 デ5000系物語
服部重敬著 発行所:(株)ネコ・パブリッシング 定価1,000円+税
ポン友の優秀なる書が上梓された。ポン友は1954年生まれ、1989年長島温泉で知り合った。1990年G.W.、日本路面電車同好会(JTS)アメリカ西海岸LRT探訪の旅で、行の半分を共にした。ヘビースモーカーで、道中サン・ホセ(ノゼ)デーポで「沖さん、煙草が切れた。一本呼んでやって下さい」と言って来てからしばらく、関空で仕入れたスーパーライトを支給した。その後、気付いたら禁煙者となっていた。理由は空の旅を重ねるためであった。
ポン友は今回のデ5000系上梓3週間前に、JTBキャンブックスで“世界のLRT”で共著者として名を連ねている。その書も紹介しようと思っていたのだが、仕事(まだ現役)が忙しく期を逸したこと、ポン友にお詫びしたい。キャンブックスではLRTを導入した代表的な都市の群像が紹介されているが、それらは主にポン友が執筆したらしい。実はここしばらく生(中)を酌み交わしていない。その彼はデジタル元祖青信号の愛読者である。学生時代を富山で送ったポン友は、富山ライトレールに関心を寄せていた。開業後、デ元青(なんぞええ愛称つけてほしい)で、須磨の大人投稿“富岩鉄道の写真”を知るや、それと射水線と笹津線の写真提供協力を言ってきた。それがほんの少し実現した結果、友書のあとがきに“同志社大学鉄道同好会クローバー会の方々や…略…貴重な写真を御提供いただいた…略…”と、記して頂けた。おありがとうございます。
ポン友が青春時代を送った越中国では、1950〜1960年に富山市を中心に電鉄網は発展を遂げた。ところが急速なモータリゼーションの前に萎んでいった。その背景には高度経済成長の波に乗ったと言ってしまえばありきたりで、その根底には富山ならではの立地条件があったが、それを語ると長話となるからカットする。その結果、世帯当たり自家用車保有数が日本の都道府県では2番となった。富山新港による分断話は別として、射水、笹津線両線の凋落ぶりが切々と語られている。ポン友の青春時代に身近であった電車が消えて行くなんて断腸の思いであったであろう。
ヒギンスさんを口説き落としたのは、ポン友と老人の仕業であった。日本でLRT研究の第一人者であるポン友の書を紹介できるのはとても嬉しい。手ごろな価格でもあるのでぜひ手にして欲しいと、御願いする次第である。
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