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本題に入る前に、湯口先輩の「またまたクイズ」をデカンショまつり号さんが見事に正解を回答された。湯口先輩の仰せの通り、宇部区時代に運転台を取り付けた時点で、本来ならばクハ19となるべき処、「サ」を「ク」に書き直しただけで使用し、書類上はサハ25のままで、クハ代用車(クサハ)となっていたのではないか思われる。ちなみに明石区への転属は昭和26年12月24日付で、宇部区に東京から17m鋼製車が転入してきたため余剰となり、救援車として入ったものである。
同様の例は、鶴見臨港鉄道買収のサモハ(サハ代用のモハ)211で、昭和18年7月1日、鉄道省に買収、昭和23年鶴見線昇圧により身延線に転属(この時点での車号はサハ211)昭和26年、飯田線伊那松島区に転属、昭和27年6月5日HLの制御器を取り付けクハ化されるも書類上はサハ211のまま(現車の標記はクハ)で、昭和28年6月の改番で正式にクハ5500となった。
阪和線に、昭和33年10月から昭和43年9月まで「直行」という列車種別が存在していたことをご存知で、実際に乗られた方は「前期高齢者予備軍」以上の方であろう。
昭和33年9月までの列車種別は「特急」「急行」「準急」「普通」の4本立てであった。「特急」の停車駅は、鳳、和泉砂川、紀伊中ノ島、「急行」は、金岡、鳳、和泉府中、久米田、東岸和田、東貝塚、熊取、和泉砂川以遠各駅、「準急」は、金岡、鳳以遠各駅であった。
33年10月のダイヤ改正直前の運転本数は、特急は朝夕ラッシュ時に7往復、急行は昼間30分間隔、準急は朝夕ラッシュ時の運転であった。ダイヤ改正で「特急」を「快速」に改称して昼間1時間間隔として停車駅は従来通り、「急行」と「準急」を統合して「直行」に改称し、昼間30分間隔とした。停車駅は、金岡、鳳、和泉府中以遠各駅、旧準急の時間帯の列車は従来通り鳳以遠各駅とした。昭和43年10月(ヨンサントウ)のダイヤ改正で区間快速に改称されて消えてしまったが、阪和線らしい種別であった。
日常的な利用者以外の人にとっては、何とも不思議な種別で、各駅停車東和歌山行や東和歌山まで行かない「直行」も存在したので、一寸わかりにくかったことも事実であった。
「快速」「直行」の使用車両は基本的にはクハ76+モハ70+モハ70+クハ76の4連であったが、阪和形、一般形及びその混結が使用されることもあった。
1.クハ25他阪和形4連 42年5月28日 鳳
2.クモハ73080+サハ57003+モハ72+クハ55 同上 長居
東京から転属したばかりのクモハ73他4連が直行運用に入ったところ。
3.クハ76+モハ70+モハ70+クハ76 43年3月24日 天王寺
この「直行札」の期間は短かった。
4.クハ76+モハ70+モハ70+クハ76 47年8月6日 山中渓〜紀伊
5.クモハ60004+サハ78010+サハ78+クモハ60 同上
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【クモハ73直行.jpg : 153.0KB】
【クハ76直行.jpg : 75.4KB】
【クハ76区間快速A.jpg : 138.1KB】
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