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西村雅幸さん、江若の水泳列車を完成されたとのこと、写真で拝見しました。おめでとうございます。
いゃ〜懐かしいですなぁ、江若の水泳列車、暑い季節にぴったりの話題です。ご所望のオハ27の床下の写真はありませんでしたが、水泳列車の話でしばしの暑気払いを。
50年前、地球温暖化の“お”の字もなかった時代から、京都は日本一暑い街と言われていた。一般市民に冷房など皆無の時代、手近な涼はなんと言っても水泳だったが、市内で泳ぐには、市営のプールか川で泳ぐしかなかった。
筆者の近くでは、南禅寺と若王子に疏水の水を引き込んだ市営プールがあり、よく自転車に乗って行ったものだった。入場料は20円ぐらいと記憶しているが、夏休みはすごい混雑である。無料で自由に泳ぐとなれば川しかない。ただ、近くの鴨川は、友禅流しの染料を洗い流しているため、洗うたびに川の色が赤や青に七変化し、さすがに泳ぐ勇気はなかった。いちばんいいのは、並行して流れる疏水である。ここなら琵琶湖の水できれいだし、よく空いている。ただ、水深が深く流れも急で、水泳の苦手な筆者は近づくこともできない。猛者だけが、疏水を渡る橋の上から飛び込んだりするが、毎年水死者が出て、学校からは禁止令が出た。
そんなわけで海のない京都では、夏はよく琵琶湖へ水泳に行った。その足となったのが江若鉄道である。地方鉄道では年に一度の稼ぎ時というのがあり、普通は、社寺の参拝、祭礼が多いのだが、江若の場合はまさに水泳客輸送がこれに当たる。通常の列車本数の倍以上の列車が増発され、水泳客をピストン輸送する。それでも、始発の浜大津は改札止め状態で、長い間並んでやっと超満員の列車に押し込まれて発車、沿線にある水泳場へ向かったものだ。
車両は、その当時在籍した26両のDC(ハフも含む)は総動員、総括制御車、非総括制御車もゴチャ混ぜになって運用された。客車も、ラッシュ時用のオハ1900系4両、ふだんは寝ているオハ27形3両も動員、さらに国鉄から客車数両を借り入れて、自社のDD13が牽くという、江若の夏ならではの光景が出現したのである。結果、DD13+江若客車+DC+国鉄客車などといった百鬼夜行(昔の鉄道誌が好んで使った表現)そのものの光景が出現した。
以下の写真は、廃止の前年、昭和43年に撮ったもの、マイカーの波が押し寄せ、江若の輸送量には低減していった時期だけに、以前ほどのゲテモノ編成は見当たらなかったが、それでも次々と来る多様な編成には心が躍った。すぐそこに琵琶湖を望みながらも、水泳には目もくれず、江若最後の夏を記録した。
写真1 DD1351の牽くオハ1900系4両編成の後部 西村さんの編成と同一編成(模型ではDD13は52号機)
写真2 上記編成の戻りの回送 後部にキハ16を連結
写真3 キハ21+?+ハフ3の3両編成 鈴なりの車内が見て取れる
写真4 車体を傾けて満員の水泳客を運ぶ総括編成キハ5121-ハ5010-キハ5122+ハフ9
写真5 江若オハ27×2+国鉄客車×3の上り回送 DD1352牽引
いずれも三井寺下〜滋賀間 昭和43年8月4日
なお、江若が最も活発だった昭和30年代の水泳列車の様子については、クイズの帝王であられる湯口先輩が、以前「鉄道ファン」に発表されたと記憶しますが、ついに見つけることができませんでした。未発表写真も含めて即座に発表していただけるものと期待しております。
【写真1(5).jpg : 267.1KB】
【写真2(5).jpg : 293.5KB】
【写真3(5).jpg : 335.1KB】
【写真4(3).jpg : 305.6KB】
【写真5(3).jpg : 383.9KB】
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