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【1517】の青信号特派員さんと【1519】の西村雅幸さんの水泳列車の写真、今出川浄福寺さんのダイヤを拝見していると、現役時代、炎天下、皆さんと一緒に滋賀駅や叡山駅付近で撮影したこと、北小松宿舎に泊まって最終列車を見送ったこと等様々思い出が蘇ってくる。
当時現役であられた方は、それぞれに思い出をお持ちのことと思われるが、それだけでも貴重な記録であり、是非書込みしていただきたい。その内に青信号特派員さんが徹夜で作成された当会のお別れヘッドマーク、お別れ列車の画像、最終日の模様等の書込みがあると思われるので、期待してお待ちいただきたい。
一昨年の夏、大津市歴史博物館で「ありし日の江若鉄道」というタイトルで企画展があり、見学に行った。青信号特派員さん、高橋 弘氏、当時機関士をされていたAさんの撮影された写真、キハ13等の気動車の模型等を見て懐かしさのあまり涙が出てしまい、1時間位で帰る予定のところ3時間位見学した。
昭和41年頃まで、朝近江今津発、夕方浜大津発で、DD13の引く快速列車が運転されていた。その後、総括制御のできる気動車に置き換えられて姿を消したが、これには次のような裏話があった。Aさんからお聞きした話で、冬の寒い日、近江今津発の一番列車を運転し、近江今津〜北饗庭間を走行中、異常な揺れを感じたそうで、3番列車の快速列車がその地点で脱線事故を起こした。種々調査の結果、原因は客車側にありということになり、快速列車は気動車に置き換え、客車は速度を65q/h以下に制限の上、臨時列車にのみ使用ということになった。その結果、水泳シーズン以外はオハ1957〜1960は堅田駅に、オハ2763〜2765は高島町駅に留置されることになった。
江若鉄道は、バス専業となり、江若交通と社名を変更し、湖西線沿線で盛業中であるが、鉄道時代からのご縁で、昭和56年に同社のボンネットバスが引退する時、お別れ運転のお手伝いをさせていただいた。それからでも既に28年経過している。そのボンネットバスであるが、現役で会津磐梯山の麓で路線バスとして走っている。
1. 朝の快速列車で浜大津に到着したDD1352 昭和40年12月8日 浜大津
この日の編成はDD1352+オハ1959+オハ1960+オハ1958+オハ2764+オハ2763であった。
快速の停車駅は、新旭、安曇川、高島町、近江舞子、比良、近江木戸、和邇、真野、堅田、三井寺下であった。(近江木戸は現在の志賀で、江若の滋賀は京阪石坂線穴太駅の琵琶湖寄りにあり、場所は全く異なる)
2. オハ2764 昭和40年12月8日 浜大津
元国鉄オハ2792(←オロ3192)で昭和3年日車製、昭和39年8月8日付で入線し即使用されている。水泳シーズンとは関係なく朝夕の快速列車に日常的に使用されていた。【1449】に国鉄時代(オハ2792)の画像が掲載されている。
3. オハ2763 昭和40年12月8日 浜大津
元国鉄オハ27110(←オロ31110)で昭和3年日車製、もう1両のオハ2765は元国鉄オハ27112(←オロ31112)で昭和3年川崎車両製である。
4. DD1351の引く貨物列車 昭和44年10月4日 高島町
昭和32年汽車会社製で国鉄DD13に先立って作られたことで有名。江若廃止後は別府鉄道に売却され、同社廃線時土山線の最終列車を引いた。
5. DC251の引く貨物列車 昭和44年10月10日 滋賀
廃止になった熊延鉄道から購入した機関車で、昭和39年8月27日付で購入した。昭和35年帝国車両製で、新製後僅か4年で廃止の憂目を見ている。江若廃止後は御坊臨港鉄道(現紀州鉄道)に売却されたが、同社の貨物営業廃止により、昭和59年7月に廃車された。
【DD1352(2).jpg : 54.2KB】
【オハ2764.jpg : 72.9KB】
【オハ2763.jpg : 64.4KB】
【DD1351貨物.jpg : 178.9KB】
【DC251.jpg : 159.1KB】
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