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【1532】オハ27 藤本哲男 08/8/16(土) 20:22 [添付][添付][添付][添付][添付]
【1536】Re:オハ27 オヤ304とスヤ372 井原 実 08/8/17(日) 22:49 [添付][添付][添付]

【1532】オハ27
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/8/16(土) 20:22 -
  
このところ江若鉄道の話題が多いが、我々団塊世代が現役の時に廃止を迎えたこと、学生運動による学校封鎖で撮影に行く時間があったこと等でかかわりを持った方が多かったことによるものであろう。

折りしも西村雅幸さんがワフ450を製作されておられるが、もう1両のワフ280を6×9版のカメラで撮影された方がおられたように記憶する。写真かフィルムをお持ちであれば是非公開をお願いしたい。

また、5ヵ月後の3月31日には市電伏見線が廃止になり、京都周辺から大物路線が2つも姿を消した。当時私は4回生で、教室が使えず後期試験がレポートに変わり、全体卒業式ができないためゼミや専攻単位で行われた。知人の学生運動の中心的人物が、某有名企業の経営者や、政治の世界(それも保守系)に入った人がいる。私は学生時代から今日まで、途中25年間の中断があったが、ささやかに鉄道を楽しんでおり、まさに人生色々である。

江若オハ27に関連して、当時京都駅で珍しい丸屋根オハ27(旧オロ31)を見ることができた。オハ2752で昭和2年川崎車両でオロ41723として誕生、翌年の改番でオロ30653に、16年の改番でオロ3152に、36年の格下げでオハ2752となった。戦後工場入場時に失火により焼失し、復旧時に丸屋根になったものである。

昭和38年に吹田機関区の通勤車に改造され、オヤ30となった。外観はオハ27時代と変わらないが、座席はオハ61等と同じ背摺りが板張りのものに取り替えられた。昭和58年まで使用され、通勤時間帯に千里丘駅から吹田機関区に延びる線路上をDD13に引かれて走っている姿をよく見かけた。

1.オハ2752   昭和38年12月25日   京都駅

2.オヤ304    昭和50年6月15日    吹田機関区
吹田機関区の通勤車に改造後で、外観上の変化はないが、座席は取り替えられている。

3.スヤ372    昭和50年6月15日    吹田機関区
オヤ304とペアで通勤車として使用されていた車で、昭和7年大阪鉄工所製でスハフ34401として誕生、16年の改番でスハフ32100に、昭和41年にスヤ372となった。車体内外共スハフ32100時代と変わらない。廃車はオヤ304と同じで昭和58年である。

4.スニ3073    昭和40年12月6日    京都駅
オハ31系の荷物車で山陰線でよく見かけた。後に救援車に改造された車両が多く、品川区のスエ309(←スニ308)が横川の碓氷峠文化村に、美濃太田区のスエ308(←スニ3095)が佐久間レールパークにそれぞれ旧車号に戻した上で保存されている。一方オハ31は、津軽鉄道で廃車後、芦野公園に保存されていたオハ3126が、大宮の鉄道博物館に保存されたことはご承知の通りである。

5.オル3137    昭和41年1月8日     京都駅
この車も京都駅の山陰線ホームでよく見かけた。通常配給車は貨物列車に連結されることが多いが、当時のメモを見るとオル3150、210、219を撮影している。写真のオル3137は、昭和34、オハ31232の改造車である。

tsurukame様
仙山線の暖房車の件、形式はホヌ30で大正15年、東海道線の東京〜国府津間電化の時に、冬季の蒸気暖房に対応するため、小倉工場と苗穂工場で15両作られました。分類は事業用客車です。「青信号54号」のP68にホヌ3013の写真が掲載されていますので、お持ちであればご覧いただければと思います。ちなみに「青信号54号」は旧型客車特集で、団塊世代が現役の頃、西村雅幸さんが中心になって作成された「客車のアルバム」が原本で、印刷が今一つですが内容良くまとまっていると思います。また、暖房車全般については、ネコパブ社の「RM LIBRARY44 国鉄暖房車のすべて」が判りやすくまとめられていると思います。

添付画像
【オハ2752.jpg : 168.8KB】

添付画像
【オヤ304A.jpg : 94.4KB】

添付画像
【スヤ372.jpg : 70.2KB】

添付画像
【スニ3073.jpg : 68.4KB】

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【オル3137.jpg : 68.6KB】
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【1536】Re:オハ27 オヤ304とスヤ372
 井原 実  - 08/8/17(日) 22:49 -
  
【1532】のオヤ304とスヤ372は、どちらも後に車体を振り替えた2代目が存在しますので、写真をご覧にいれます。

■オヤ304 昭和55年7月全検時に、オハフ33565(岡ツヤ)をオヤ304として出場させました。便所・車掌室は締切、洗面所撤去、床下に水槽無し。撮影:昭和55年8月3日吹田貨車区

■スヤ372 昭和55年1月全検時に、オハフ33280(大ヒメ)の標記を書き替えただけのようで、洗面所、床下の水槽も残っていました。撮影:昭和55年3月16日吹田貨車区

2代目はオハフ33の戦前製、戦後製のコンビとなり、職員の通勤用として吹田貨車区〜岸辺間を毎日朝夕往復しました。東海道本線下り線の外側に単線で吹田工場構内から千里丘の手前まで試運転線が延びており、岸辺駅駅舎の吹田方に仮設ホームがあって職員が乗り降りしていました。阪急電車の正雀工場搬入用の線路もありましたが、今は撤去されています。
時刻は、貨車区7:58→8:00岸辺8:00→8:02貨車区と、貨車区16:58→17:00岸辺17:00→17:02貨車区でした。末期はDE11が岸辺方に付き、行きは牽引、帰りは推進していました。構内入換扱いなので列車番号はありません。
この通勤列車も昭和57年11月14日で廃止されました。3枚目の写真はその最終日の朝の様子です。私の他にカメラを持った人を一人見ました。下り外側線を疾駆する117系快速も懐かしいですね。

なお、スニ3073も昭和39年2月に幡生工場でスエ3048に改造され、小郡機関区救援車となりました。じつはこれにも2代目があり、2代目はなんと20m車のマニ36303(元スロ603)が化けたものでした。

添付画像
【オヤ304(2代目).jpg : 0.6MB】

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【スヤ372(2代目).jpg : 382.5KB】

添付画像
【通勤列車最終日.jpg : 372.1KB】
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・名前 : オヤ304(2代目).jpg
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