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【1429】で長老が昭和34年9月に仙山線作並機関区訪問記を書き込みされ、【1429】でtsurukame様が4年後の昭和38年11月の様子を、【1429】で小生が更に1年半後の昭和40年3月の様子を書き込みしたが、5年半の間の変化を多少なりとも感じていただければ幸いに思う。
山形〜山寺間の直流電化は昭和35年11月1日に完成しているにもかかわらず、tsurukame様が乗車された列車は86が引いていたということは、電気機関車が足りず、蒸気機関車も併用していたのかもしれない。
撮影されておられるED1719の引く客車列車は非常に貴重な記録で、本来同機は八王子機関区の所属で、昭和38年7月11日〜11月30日、39年1月21日〜2月12日、同年9月7日〜12月1日の間、作並機関区が借入れている。
現在の仙山線は全線交流電化で、719系電車を主力に、701系、E721系で運転され、仙台市の近郊区間の愛子まで昼間20分間隔、以遠山形までは1時間間隔で18往復運行され、写真の頃とは比較にならない位に便利になっているが、仙台〜山形間には高速バスが5〜20分間隔でJRの4倍、72往復も運行され、バス会社のドル箱路線となっている。
さて、仙台市内には大正15年11月25日から昭和51年3月31日まで50年間に亘り市電が走っていた。最盛期には約16キロの路線があったが、昭和44年3月末に北仙台線1.2キロが廃止、7年後の昭和51年3月末に残りの路線が一気に廃止された。地下鉄が開業するのは11年後の昭和62年7月15日であった。
仙台市電の特徴は、開業当初から市営であったこと。形式に「モハ」が付いていたこと。ボギー車は、昭和23年製のモハ100形から昭和38年3月のモハ400形最終増備車まで新車で登場したが、その後の増備は全部中古車であったこと等であろう。
全形式を撮影できた訳ではないが、何回に分けて紹介したい。
1.モハ43(形式モハ43形) 昭和40年3月22日 仙台駅前
昭和13年、梅鉢鉄工所で43〜45の3両作られた。当時流行の流線型であるが、車体が短いため、余り良いスタイルとは言い難い。初めて乗った仙台市電がこの車で、車掌が女性であったこと、窓ガラスのビビリ音が大きかったことが今でも印象に残っている。
2.モハ104(形式モハ100形) 昭和43年9月4日 仙台駅前
昭和23年から27年まで24両作られた。当初はモハ80形(81〜94)を名乗っていたが昭和29年の改番でモハ100形(101〜124)となった。昭和23年製の101〜105の5両はワンマン化されることなく昭和49年に廃車となった。
3.モハ122(形式モハ100形) 昭和43年9月4日 仙台駅前
モハ116〜124は昭和27年製の最終増備車である。106〜124の19両は昭和42年からワンマン改造が実施され、最終日まで働いた。
4.モハ181(形式モハ180形) 昭和43年9月7日 仙台駅前
昭和38年9月に営業を廃止した琴平参宮電鉄から同社の82、84〜88の6両を譲り受け番号順にモハ181〜186とした。モハ181〜183は昭和25年廣瀬車両製、184〜186は琴平参宮電鉄善通寺工場製で、184、185は昭和29年、186は昭和33年製である。仙台市電では最も大きかったが、高床車のため乗り難いということで、ラッシュ以外は余り使われず、昭和45年に廃車となった。
5.モハ184(形式モハ180形) 昭和43年9月4日 仙台駅前
善通寺工場製のグループは、モハ181〜183とはヘッドライトの位置が異なっていた。
【1539】これなーに?の回答です。
画像のEF6620はJR貨物の試験塗装機です。
JR貨物が新塗装を決めるのに、何種類か試験塗装を行いました。この塗装はEF6620のみで、また、EF66の試験塗装機はこの1両だけでした。
【モハ43.jpg : 140.4KB】
【モハ104.jpg : 109.9KB】
【モハ122.jpg : 91.1KB】
【モハ181.jpg : 84.9KB】
【モハ184.jpg : 68.6KB】
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