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【1571】おじん2人ヨーロッパ軽便 その22-13 湯口 徹 08/9/6(土) 21:46 [添付][添付][添付][添付][添付]

【1571】おじん2人ヨーロッパ軽便 その22-13
 湯口 徹  - 08/9/6(土) 21:46 -
  
IL TRENINO VERDE サルディーニャ島緑の列車 ヌオロ−アルバタックス−カリアーリ

またもや順序が入れ替わり恐縮(これすべて小生の軽率+加齢現象なり)だが、テンピオ・パウサニア−パラウ・マリーナ間に夏季1日2往復のみ運行する専用客車の室内をご覧頂きたい。「まるでサウナ」のオール木質である。

今は知らないが、冷房など無かったかつての東南アジアやインドの3等客室は、座席もすべて木材で、なまじテレンプなどが無いためかえって涼しかった。およそ半世紀前の江若鉄道で夏季しか使わないホハ102〜104の座席も同様であった。

我々は午前の列車を撮って国道125号線を経由し、東海岸の港町オリビアへ。ここには標準軌間の国鉄線が、さら東北のゴルフォ・アランシィまで伸びている。安く上げる積りの駅バールがシェスタで閉まり、町のリストランテ(チップ必要)でまともな昼食を。

さらに国道125号線(ハイウエイ)でヌオロへ。5日前予約しておいた小奇麗なホテルに入ったが、予想に違わずいい宿だった。一服し明日のロケハンに出かけ、3か所程をチエック。その帰路ヌオロ郊外で旧街道に入り込み、複雑な地形で道に迷った。

方角が分からなくなり、歩行中の親父に聞くと、後部ドアを開け、乗り込んでくるではないか。英語は解さないが道案内をしてくれるらしい。ところがとあるスーパーマーケットの前で降り、右を差す。何とこの親父、自分の目的地までヒッチハイクを決め込んだのだった。

この島ののんびりさ、安全さを示すものだろうが、当方にとって最初で恐らく最後の経験でもあった。

その晩はヌオロのチェントロ(旧市街)を歩き回り、先ずは本屋で下の娘から下命されていたハリー・ポッターの伊語版を、手帳に書いたメモを見せ購入。ついで町人に聞き、夫婦で経営する小さなチェントロを探し当てた。この島で最も旨かった夕食で、ブォーノといったら女将が喜び、菓子のようなデザートをどっさりサービスしてくれた。初の日本人客だったそうな。

翌早朝国道129号を西へ、一番列車を迎え撃つ。実は前日ヌオロ駅でディーゼルカーか、DL牽引客車列車か、駅員に食い下がって聞いたのだが、英語は通じず、結局分からず仕舞い。結果は後者だったが、乗客は皆無だった。

敵の速度が予想以上に速く、道路が自動車専用道路だからどこでも止められ、あるいはUターンできるわけでもなく、結局「大欲は無欲に似たり」で2回撮影がやっとで、ホテルに戻り朝食。ヌオロは海抜650m程度、途中1,000m以上の山脈を越え、13mのトルトリへ。

地平なのに地形が複雑で、トルトリ駅を探してとんでもなく狭く急勾配の道にはまり込んだ。しかもその先は民家の行き止まり。運転手兼先達の相棒が10回以上ハンドルを切り直し、やっと向きを変えたが、舗装はされていても勾配がきつく、車はむなしくスリップし、エンストを繰返す。

小生が背後から押したが歯が立たない。かくなれば最後の手段は、また向きを変え、バックで上るしかない。ローよりも、バックの方がギヤ比が大きいからで、かつてのTフォードは2速で、バックがスペアーローでもあり、上れない坂はバックで上れ、というマニュアルだった(由)。

折角向きを変えたのだが、そこでふと気付き「エアコンを切ってみろ」と相棒に。とすると、あら不思議やな。車は嫌々ながら前進して急場は乗り切れた。このワンボックスカーは、日本なら2,000は下るまいが、ヨーロッパだから多分1,500cc未満だったようだ。

帰国して自動車に詳しい仲間に聞くと、エアコンは20%ぐらいエンジンの力を消費することがあるそうな。

結局トルトリ駅は見付からず仕舞いで、アルバタックスを経、快適な125号線を飛ばしてカリアリへ。その手前には塩田が広がり、山岳と平地が組み合わされたこの島の旅は日本人に一度も会わずに終わりに近づいた。

その途中、道端に小さな小さなヌラーゲを見付け、車を路肩に止めて記念撮影をした。ヌラーゲとは、この島に残る、7,000とも8,000基ともいわれる先住民族の石積遺跡で、その最大のものは島で唯一世界遺産になっている。用途は不明。

その間我々はつい日本の習慣で、ハザードランプを点灯していたが、パトカーがやってきたではないか。どうやら対向車が見付け、外国人が立往生?と通報したらしい。警官は事故でもないのに、ハザードランプを点けるな、と警告(伊語なので、あくまで「らしい」)して去っていった。

カリアリで予約済ホテル(これは結構なホテルだった)に入り、空港で車を返却。知らぬ間に1ヵ所軽いスクラッチが付けられていたが、我々の申告には肩をすくめ「ノー・プロブレム」で無罪放免。これがイタリアのいいところであろう。

その日は街中のスーパーで日本に比し激安のからすみなどを買い、翌日は朝からカリアリ旧市街を歩き回り、ローマ時代の遺跡(円形劇場もあり)や教会を見学。タクシーで空港へ。

蛇足だが、このカリアリにサッサリに次ぎ今年3月、6車体6軸のシュコーダ(チェコ)製超低床電車が運行開始したそうな。ピアッツア・リパブリカから車両基地のあるモンセラットのすぐ北、ヴィアサン・ゴッタルドまで、単線のまま、7停留所間を電化したのである。ユーチューブでも複数の動画が見られる。因みに電車撤廃は1973年だった。

時間が余り、予定より早い便でレオナルド・ダビンチ空港へ。ところがここで最後の事件が発生した。乗客100人余りが待てど暮らせど荷物が1個も出てこず、ターンテーブルが空しく回転するのみ。皆の衆辛抱強く待つこと1時間余り。流石にキレた御仁が掛け合いに行くと、途端に堰を切って荷物がドカドカと。

何のことはない、荷物の投入口で閊えたまま、1時間余を経過したのであった。こっちは時間がありすぎて平気だったが、乗り継ぎが迫っていたら大変だった。ドイツやスイス、勿論日本でもあり得ない、ごく日常的なトラブル=まさしくイタリアだったのである。

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