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第4回目は、モハ300形とモハ400形を紹介する。
1.モハ300形(301・302)
昭和30年東洋工機で2編成作られた連接車で、車体と主電動機は木製モハ1形のものを流用したが、台車、その他の機器は新製した。前代未聞の木製連接車であったが、車体は乗せ換える予定であった。大き過ぎてダイヤを乱すためラッシュ時、多客時に以外は使用されず、昭和41年5月に廃車となった。
[写真1]モハ302 昭和40年3月22日 仙台駅前
2.モハ400形(401〜415)
昭和34年から38年にかけて仙台市電最後の新車として15両作られた。昭和34年に401〜404がナニワ工機、36年に405〜407が新潟鉄工所、37年に408〜410がナニワ工機、38年に411〜415が日本車両で作られた。36年と37年製は仙台市が独自に開発設計した異径車輪を使用する台車を履き、直角カルダン駆動を採用した。車体のモデルは都電の8000形とされている。昭和42年にワンマン改造されたが、モハ100形、モハ200形と異なり、スタイルの変化は少なかった。仙台市電保存館にモハ415及びモハ410の台車(ナニワ工機製NK71)が保存展示されている。
[写真2]モハ401 昭和43年9月4日 仙台駅前
昭和34年ナニワ工機製で、台車はナニワ工機NK22で、ヘッドライト、方向指示器等に自動車部品を多用してコストダウンを諮っている。
[写真3]モハ407 昭和43年9月4日 仙台駅前
昭和36年新潟鉄工所製で、台車はNP103と呼ばれる仙台市が独自に開発設計したもので、その特徴は動輪と従輪の大きさが異なる異径車輪を使用していることと、センターピンの位置が内側になっていることである。制御装置は直接制御であるが、駆動装置は直角カルダン駆動である。中扉の中桟が無くなり1枚ガラスとなった。
[写真4]モハ411 昭和40年3月22日 仙台駅前
昭和38年日本車両製の最終グループである。台車は通常の日車NP107となり、駆動装置も吊掛式に戻ったのは、保守の簡素化のためであろう。スタイル的には屋根上のマーカーランプが無くなった。画像はワンマン改造前であるが、改造に伴う変化は、バックミラーの設置と前扉の前の窓が手が加えられた程度である。
[写真5]【参考 都電8029】 昭和42年3月26日 品川駅前
都電8000形は、都電の将来を見越し、耐用年数を10年〜12年程度として、工作方法を極力簡素化し、低価格の車両という発想で、昭和31年から32年にかけて131両作られた。路線の縮小に伴い昭和44年から47年にかけて廃車となった。
車体を短くして、前扉を2枚引戸にすると仙台市のモハ400形のスタイルになる。富山地方鉄道デ7000形、万葉線のデ7050形、デ7070形も同系で、こちらは車体更新を重ねつつ現在も使用されている。
【モハ302.jpg : 121.3KB】
【モハ401(ワンマン).jpg : 75.4KB】
【モハ407(ワンマン).jpg : 80.1KB】
【モハ411.jpg : 65.3KB】
【8029.jpg : 107.0KB】
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