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引続き、第5回目(最終回)は、昭和42年12月17日廃止になった呉市電から譲り受けたモハ2000形とモハ3000形を紹介する。
両形式とも昭和43年4月に入線した。ワンマンカー仕様のため、塗装変更をした程度でほぼそのままの形で使用された。
1.モハ2000形(2002・2003)
昭和36年ナニワ工機製で当初からワンマンカー仕様で作られ、台車はエアサスのNK52を履いていた。車体はバスの製造工法で作られた軽量車であった。車号は呉市電時代のままで、2001が欠番になっているのは呉市で保存されたためである。(但し、現在は撤去されている)市電廃止に先立ちに北二番丁車庫を他用途に転用するため、全車長町車庫に収容することなった時、収容能力の関係で一足早く廃車となった。
[写真1]モハ2002 昭和43年9月4日 仙台駅前
[写真2]モハ2003 昭和43年9月4日 仙台駅前
Zパンタの向きがモハ2002と逆になっていた。
2.モハ3000形(3001〜3007)
昭和18年木南車両製で、前述のモハ2000形より数字が大きいのは、ワンマン改造時に改番したためである。呉市時代の当初の形式は60形60〜66、昭和27年の改番で600形601〜607、昭和36年ワンマン改造で3000形3001〜3007となった。
この車の経歴は少し複雑で昭和18年に10両作られたものの、呉市に入ったのは60・62・63の3両で残り7両は注文流れとなり名古屋市に行ってしまった。(名古屋市では呉市の注文流れということで形式を900形とした。後に豊橋鉄道に譲渡)あとの4両は戦後昭和20年になって入線した。書類上は20年10月認可で、竣工は60・62・63が21年11月、64が22年8月、65・66が22年11月、61が23年1月となっており、現車と書類上に相違が見られるのは戦中、戦後の混乱期であったためであろう。
本来3扉車であったが、ツーマン時代から後部扉は使用しておらず、ワンマン改造時に廃止して窓にした。改造は阿賀工場で行われた。ラスト2両のモハ3006・3007は昭和49年2月に廃車、モハ3001〜3005はモハ2000形と同じ理由で全線廃止の少し前に廃車された。
[写真3]モハ3001 昭和50年9月3日 仙台駅前
[写真4]モハ3006 昭和43年9月4日 仙台駅前
この車は前述の通り一足早く昭和49年2月に廃車となったので仙台での活躍は僅か6年であった。また、この車だけZパンタの向きが逆になっていた。
[写真5]モハ1 昭和50年8月31日 大町西公園
大町西公園で保存されていた頃のモハ1であるが、心無い人の破壊活動により窓ガラスは全部割られてしまい悲惨な状況であった。再度復元工事が実施され、現在は仙台市電保存館で保存展示されている。
モハ1形は大正15年11月開業時に川崎造船作られた木製単車で、当初1〜10の10両が作られた。翌昭和2年に11〜23が、3年に24〜30が作られ30両出揃った。
5回に亘り仙台市電を紹介したが、撮影、乗車経験のある方は廃止時期から考えると前期高齢者以上の方であろう。これらの方には在りし日のことを思い出していただき、仙台を訪れる機会があれば市電保存館に足を向けていただければ幸いに思う。また、年齢の若い方にはかつて仙台にも市電があり、画像のような車両が走っていたことをご認識いただければ幸いである。
仙台市電を紹介した書籍は、最近のものとしてネコ・パブ社のRM LIBRARY90「仙台市電」が挙げられる。今回紹介できていない古い車両を含め貴重な写真や資料が満載であるが、スペースの関係からかも知れないが、元琴平参宮電鉄のモハ180形と元茨城交通のモハ130形の写真と解説が完全でないのが悔やまれる。
この夏、往路夜行バス、復路「青春18」の組み合わせで仙石線の103系と市電保存館の見学を計画した。ところが出発の当日、大雨のため夜行バスの仙台到着時刻が大幅に遅れる可能性があるとの連絡があった。仙石線の103系は平日の朝、青葉通〜小鶴新田、青葉通〜東塩釜間を各1往復するだけで、バスの到着が遅れると撮影できなくなるため止むを得ず中止した。しかし、この計画は近々実行に移したいと思っている。
【モハ2002.jpg : 90.0KB】
【モハ2003.jpg : 104.8KB】
【モハ3001.jpg : 107.6KB】
【モハ3006.jpg : 63.2KB】
【モハ1(保存車).jpg : 134.2KB】
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