|
ワッチャラこと乙訓の長老こと沖中忠順会長が三八豪雪あれこれ話を連載し、まだ続くとばかり思っていたら、これでチョンの由。記憶力豊かな彼氏の頭脳も寄る年波に一部老化が見られるのか、若干だが日の錯誤もあるようだ。老人2人が出しゃばり過ぎとの批判も大いに仄聞?するが、まあ暇潰しに見ておくなはれ。「おじん2人ヨーロッパ軽便」はしばらく中断する。誰だ、ああ良かったという奴は。絞め殺すよ。
昭和38年―1963年はサンパチ豪雪で記録に残る。今年の雪もただ事でなく、部分的にはサンパチを越えてもいるようだが、43年前の豪雪は北陸本線はじめ国鉄が1週間近くストップし、高速道路もない時代で、国道が軒並み雪で埋まり食料、中でも生鮮食料の不足も逼迫した。除雪技術が未熟で、社会的影響は大変なものだった。
小生等―旦那こと重澤崇、ワッチャラ、小生は1961年卒業、サラリーマン家業に入ったが勿論独身で気楽トンボではあった。
北陸トンネル開業は1962(昭和37)年6月10日で、その年1月20、21日(小生の老化は某老人どころでない=全く記憶がなく、ネガホルダーの日付だけが頼り)北陸本線杉津に行っている。泊まった覚えはなく、付近に宿もない。2日続けて行ったのか。何も1年前から説き起こすほどの話ではないのだが、まあこれも成り行きで、辛抱辛抱。
【杉津1.jpg : 102.7KB】
【杉津2.jpg : 146.1KB】
【手前から沖中、重澤、湯口.jpg : 145.1KB】
|
|
|