|
当時の北陸本線は電化が1962年3月21日今庄―福井間、12月28日米原―田村間、1963年4月4日福井―金沢間。複線化は1962年以降実に細切れながら(やれるところから)各地で進められていたが、我々2人が文字通り歩いた区間での開通は今庄―湯尾間3.7kmのみで、他の地区では一見複線のようでも、まだ片側は開業に至っていない。武生―鯖江間1963(昭和38)年4月15日、王子保―武生間9 月16日、鯖江―王子保間9月25日など、サンパチ豪雪以後である。雪のため遅れたのであろう。貼付新線部分は当然ながら列車は通らず、除雪もされないが、雪の仮置場には役立っていた。
今庄の次の駅、湯尾までは上記の通り複線化済だが、たまに走る非営業の様子見列車は単線運行していた。この間に福井まで唯一の短いトンネル(前回写真のバック)がある。
湯尾でラッセルを行き過させた。駅では畳んでいるウイングも走行中は当然拡げているから、線路歩行中後ろからやってきたらと思うとゾッとする。湯尾の駅長は「くれぐれも気をつけて」と送り出してくれた。
我々2人は腕にPRESSの腕章を巻いていたのである。報道取材規制を伴うあるイベントの際、登録記者に渡したシルクスクリーン印刷の立派なものの未使用品を2本、小生が密かに業務上横領し、将来生ずべき有事?に備え隠匿していた。それが今回絶大な効果を発揮した「今だから話そう」である。DRFCメンバーには報道関係者もいるから、何と嘆かわしい先輩かと憤慨もされよう。御免なさい。民主党某議員並に若気の至り(当時24歳)を心から反省悔悟し、以後かような行為は一切致しておりません。
【70系救援車を挟んだ3連(2).jpg : 161.2KB】
【湯尾でのラッセル(2).jpg : 142.6KB】
【運休後の単機列車(2).jpg : 120.7KB】
|
|
|