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毎回の訂正・補足は43年前の記憶や思い込み、加えて老化と脳中メモリーの劣化消滅が如何に激しいかの証左だが、多少でも復元努力中なればお許しあれ。
訂正1―511レで武生まで一緒に行き、キャベツ7個を我々に託したのは、島ヶ原ではなく松原市天美在住の別人(重澤旦那と同じ職場)であった。
訂正2―金沢-富山間1日4〜5往復の列車が辛うじて運行と記したが、金沢-高岡間であったかもしれない。
補足―我々が福岡に着いた時、駅員等が陸橋を何と豚の一群の追いたてに奮闘努力中であった由。これは同駅で長期立往生中の貨物列車中に豚を積んだ家畜車(餌や水を与えるため必ず荷主が添乗)があり、餌欠乏で現地売却契約が成立。地元には実に貴重な新鮮肉?の搬出に駅員も協力していたのである。この写真が無いのは残念至極だが、重澤旦那が帰京後島ヶ原の兄やんに出した手紙が残存し、報告者の旦那すら忘れていた椿事が復元した次第である。添乗荷主も豚も寒かったろう。
金沢から福岡までは32.1kmしかなく、この間は写真もない。上記豚騒動を記憶していないのも残念だが、沖中氏の奔走で、やっと畳の上でくつろげ、5日ぶりのまともな食事に確か入浴もさせて頂き、感謝感激で出発以来の下着も換えた。届けたキャベツは今庄の宿、トナミ運輸の2人に呈上し4個に減少していたのだが。
翌31日(木)、高山本線が運行を再開したと聞き岐阜経由で帰ることに。せっかくここまでやってきたのだが、1日も早く勤務に復帰せねばならない。それというのも、出発前直属の上司(係長)は当時撮影中だった短編PR映画(小生がカメラマン)のため、先週(倶利伽羅行)に続く日曜日(1月27日)の休みを渋っていた。この2か月、土日もほとんど休めていない、平日休ませろというんじゃない。日曜休むだけだと、日頃従順その性穏健な小生が吠え立て、月曜日には出勤するからと強引に出てきたいきさつがある。湯口が月曜に出てくるはずがないとニヤニヤする同僚(先輩ばかりだが)には片目をつぶり、まあ火曜日ぐらいかなぁ、水曜(30)日には間違いなく出勤するよ、と言い残してきたのである。
出勤中のワッチャラ氏に置手紙をしたのは覚えておらず彼氏には申し訳ない。福岡駅はご覧の通りまだ雪だらけで、ホームの端は1人立つか歩くのがやっと。それでも富山までは開通したとあって、乗客は結構多かったと記憶する。牽引のD51が何とも頼もしく見えた。
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