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[631] 「仙台鉄道の想い出集」刊行の件で、仙台鉄道を写真紹介せよと管理者のお指図あり、これは小生の責務ならんとと勝手に解釈し、早速以下の講釈に及ぶ。
東北本線は周知のように日本鉄道が建設し、1906(明治39)年11月1日国有化されたが、仙台〜一ノ関間は陸羽街道(→国道4号線)を遠く離れた東側を通過。鉄道から外れた旧街道の村や町が、当初動力人力での軌道を計画した。
その後動力を蒸気とし、1921年には瓦斯(ガソリン)も加え、仙台軌道として1922〜28年にかけて通町(仙台市)〜中新田を開業。1928/29年に鉄道に変更した。我国でのまともなガソリン機関車(ミルウォーキー製Mine Type/No Cab)採用軌道としては五城目軌道(→秋田中央交通)と共に最も古い。
1928年度における車輌は蒸機5、瓦機1、計43トン。客車は2・3等合造車2、3等車14、定員2等84人、3等452人、合計536人。有蓋貨車8=積載トン数26トン、無蓋貨車13=47トン。
その後1933年、仙南温泉軌道がもてあました松井製ボギーガソリンカー(木製鋼板張)を購入しキハ1に、1933/34年には丸山車輌製木製ボギー客車にガソリンエンジンを搭載したキハ2、3を自家製造。これは頸城鉄道が木製客車トク1を種車にして改造したホジ3成功に100%倣ったものである。1940年には半鋼2軸のキハ4を丸山で新製した。岩井温泉軌道104(→九十九里キハ301→ケハフ301)を狙って失敗し、獲得し損ねたことによる。キハ1〜4とも、すべて40人乗り。
戦時中キハ2、3は客車に戻され、以後もっぱら蒸気機関車が活躍したが、1950年客車化していたハ11(←キハ3←ハ2)を再度木炭代燃のキハ3に戻した。両端に荷台と代燃台を設置、扉位置も移し、ボギーセンター間も伸延するなどは協三工業が施工。機関は頸城ジ1、井笠ホジ7〜9、鞆キハ1も戦後装着したいすずDG32である。キハ4はフォードV8のまま。
最後まで残った蒸気機関車C102は、協三工業製の10トン機で1947年製と新しい。
【仙台C102.jpg : 234.0KB】
【仙台キハ3.jpg : 174.4KB】
【仙台キハ4.jpg : 108.7KB】
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