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続 はきだめの富山港線
前稿を打ち終わったところへ、関東のローカル私鉄を紹介したオッサンが玉座に参入した。文字だけならこのまま掲示板にのりますよ、と言ってカシャカシャ操作してくれたのが〔693〕である。校正なしだからスカタンが4箇所あった。先ず訂正からスタートする。
1.「静鉄の戦前製300型(路面乗降型で前面が丸い)とMTc編成となった。」→追加説明「静鉄300型は220型220号→モハ7号」
2.「モハ1900と?」→「モハ1900とナヤ16872」ナヤは買収国電への改番なしかな。
3.「モハ1310」→「宇部鉄道モハ21→モハ1301」
4.「宮城800型の中で唯一、故郷を離れ宇部、可部と流転の果て、富山が安住の地となり昇圧まで居座った。」→追加説明「宮城モハ807は富山には数年で、昇圧まで居座っていなかった。1961年梅雨時、城川原区でいろんな話をきかせて貰ったが、その内の一つだろう。」
いよいよ本題となる。〔680〕のデ10の写真を見てびっくり仰天! 名古屋電気鉄道デシ500型ではないか。押切町から犬山、東一宮、津島へと郊外線が開通していったのが1912年からである。その時、郊外線用のため新造したのがデシ500型である。この年には四国高松、讃岐水力(現高琴電鉄)もブリル製のラジアル台車を採用している。日本では、この2社と神戸電鉄(神戸市電)がラジアル台車を大量に採用した。
富岩ボ1,2は買収後の1948年に富山地方鉄道に払い下げられた後、高岡伏木線(現万葉線)で使用された。高岡伏木線は開業当初、日立電鉄や旧大沼電鉄の中古4輪車であったが、その後、米島口〜新湊間開通によりボ1,2にステップを付け、当線に投入された。富地鉄改番によりデハ6001,6002となり、デハ5000系投入後はデニとなり、荷物車どころか除雪車となった。6001は米島口車庫に配置、6002は千歳町車庫に配置され富山市内線、笹津線で使用された。写真の6002は千歳町車庫でのもの。南富山移転後、ボーリング場となった。
今は?、後ろの築堤上の北側の線を富岩電鉄が走っていた。「三八豪雪」で見た除雪車は6001の方であった。 (つづく)
【富山1.JPG : 77.9KB】
【富山2.JPG : 88.2KB】
【富山3.JPG : 75.1KB】
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