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12000形は「やしま」と名付けることが候補にもあがったとか。この頃、志度線を昇圧させ琴平線と直通運転とし、高松―屋島―琴平のデルタ運行で観光客の足となることを目論んだ。例え志度線を昇圧したとしても、春日川〜湯元間の春日川、新川橋梁強度を考えると無謀な企画となるだけに、沙汰やみとなったようだ。この企画はその後も生き続け、65号更新車は複電圧車であり、ドア間には対向シート2組2列のセミクロス車となった。ちなみに志度線昇圧は1966年、話を聞いてから8年後の事であった。
さて急行運転が始まり、急行用に指定されたのは10000形「こんぴら1号」(P40)、12000形「りつりん号」、500形の3車種となった。500形は1928年、制御車として竣工1953年に電装された時、100HP×4となり琴電最強力車となり、これが買われた。10000形は客用扉間をクロス車とした。手法はバス用2人掛けパイプ椅子を2列750mmピッチで11列、運転台方向に並べたものであった。つまり集団離反型。
急行運転所要時分は高松〜琴平間32.9km、下り39分、上り41分であった。途中停車駅は瓦町、栗林公園とした。表定速度は下りでは時速50.6kmとなり、まずまずである。普通の下りは6時を初発として毎時0、30分発、上りは5時51分が初発、毎時21、51分発で、所要時分は下り66分、上り65分、この間隙を縫って急行ダイヤが設定された。
高松発5:58、10:58、16:58、琴平発8:17、11:47、20:47となった。下りは普通2分前に発車、上りは4分前に発車。陶信号所をつくり、対向する普通と離合することになったが、走行したままではなく一旦停車をした。閑散期は500形単行とした。
今回の変なものは、自社製品のパンタグラフとしよう。初訪問時、志度、長尾線の集電装置は既に大人が訪問した1952年3月同様にYゲルであった。それが1957年9月には変わっていた。なんとも面白いパンタグラフである。(P41)こいつはと思い、今橋車庫へ聞きに行った。自社考案のもので、廃物利用であると言う。Yゲルは押し上げ力が不足したのか、廃車になった01形のポールのスプリングを利用して組み立てたという。自社製パンタといえば岡電の重力利用のものが知られているが、この時期に高松でもあったわけだ。50、60、80形全車に及んだ。50形重連も紹介する。(P42)
今回はこれ位にして、次回は瓦町駅周辺の変化を取り上げようと思う。
【変40.JPG : 112.2KB】
【変41.JPG : 100.0KB】
【変42.JPG : 94.0KB】
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