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【799】栗電訪ねて18きっぷ (その1) 乙訓の老人 07/3/30(金) 14:16 [添付][添付][添付]

【799】栗電訪ねて18きっぷ (その1)
 乙訓の老人  - 07/3/30(金) 14:16 -
  
くりはら田園鉄道は命運がつき、過去帳に入ることになった。クローバー会副会長が空路で訪問した時の姿が掲示板のタイトルとして飾られ、これを見た老人は1994年夏、翌年春にはDC 化されると聞き35年ぶりに「栗電」を訪ねたことを思い出した。日頃、焼酎代に追われている老人は空飛ぶ乗り物など思いつくことなく、「汽車」の香りを残す普通列車で行こうと心に決めていた。「琴参電車は一時休憩とする。」

1994年の夏は酷暑で、梅雨明けの7月8日以来2、3度パラパラとあった以外は日照の強い日が連続した。8月8日には京都測候所開設以来の最高値39.8℃を記録したのであった。この日、御池通りを河原町から烏丸まで歩いたが、微風あったが熱風で、サハラ砂漠もこうであろうなと思わせるものであった。
こんな夏は東北へ行けば過ごし易いと思い、8月12日朝5時55分、阪急西向日駅に向け家を出た。東向日からJR向日町へ、18キップを求め6時19分発201系7連で京都着6時27分。京都から米原へは6時44分発113系7連(700Mレ)、準満員でロングシートの片隅に席が得られた。長浜行のため米原は8番線に7時55分着。接続の熱海行(1332Mレ)は10番線、そして113系3連である。7連の客の半分以上が3連に乗り繋ぐのが盆休みの姿である。既に何度か経験している老人は、カールルイスよろしく目前の階段を駆け上がり、3連の最後尾に向かう。中央扉から入り、荷物をシート上におく老婆に声かけ、席にありつき7時59分発。大垣8時30分着。1332Mレを捨て4番線に向かう。大垣初発豊橋行(1120Mレ)新快速311系4連を待つ。8時41分定発。新一宮で1332Mレに追いつく。311系は最大速度時速120kmで飛ばす老人お気に入りのロマンスカーである。豊橋着10時01分。乗り継ぎの浜松行(544Mレ)は美濃赤坂初発の113系7連だが、おそらく3連で出て大垣で4連増結したものであろう。
7連ともなるとガラガラで、やっと1ボックス占領して足が伸ばせ、「汽車」に乗ったような気分になる。10時06分発。ぼんやり窓外を眺めているうちに今日の前途に思いを巡らす。このまま東海道を乗りつなげば東京に15時26分着。一服して上野を17時06分発とすれば小牛田に23時57分に着く。この年になるとステーションホテルなどしたくないし、小牛田駅前に安宿があるだろうか。安全なのは仙台22時54分着にするか、いや福島21時31分着で明日は福島交通、阿武隈急行を覗くか、あれこれと思う。その時、35年前のことを思い出した。京都を最終夜行東京行に乗り、浜松で降りて遠州鉄道を訪ねたことを。これだ!今回もそうしよう、浜松着10時40分。
高架駅となった新浜松駅は2度目である。車庫は終点西鹿島に移転されており初訪問となる。遠州鉄道は地方電鉄としては一早く全車冷房化、CTC 化を果たし12分ヘッドを実現、地方都市近郊鉄道では静岡鉄道と共に優等生である。高松琴平電鉄など爪の垢など煎じて飲めば良いのに、と思うほどである。
車庫事務所が分からず、庫内で作業中の30半ばの社員に声がけして写真撮影の許可を得る。35年前に西ケ崎車庫を訪ねたことを話したら、「僕、まだ生まれてなかったなぁ」と言われてしまった。現況をいろいろ尋ねたら、的確な返答が返ってきた。この社員は優等生である。「全部で2連14編成、新車1000系は(P101)5編成、この年暮にもう1編成増備する。新車が入ると30系が落ちていく。14編成で全運用をまかなっている。早く全車が新性能車になれば保守が楽になるのですが・・・・・。」朝ラッシュ時のことを聞いてみる。「6運用で5本が4連です。14編成中11本が出庫します。これでラッシュは対応出来ています。」
車庫内をうろついている時、西はずれに天竜浜名湖鉄道のホームがあるのに気付いた。13時6分発、掛川行がある。これこれと思い、「これから1003編成を試運転で出しますから乗って行きますか」と誘って貰ったが、御礼を言って駅前食堂で冷麺を腹に収めてホームに向かった。
ホームでは6人が乗客。5人が降りて(P102)、天竜川を渡ったのは20人。二俣下車は14人、30人ばかり乗車。小柄なオバチャンの売り子がおり、「名物のたこ焼きはいかが・・・・・」と車内販売開始。その内ウツラウツラとなり、気付いたら掛川の手前であった。13時58分着。
これより本筋に戻る。掛川14時15分発(924Mレ)211系3連ロングシート車(P103)。座席の間には自転車袋がゴロゴロしており、その所有者が大口開けて寝ている。座る隙間は彼らに占有されている。どうやら大学自転車クラブ御一行らしい。ならばカブリツキをと思うが、背の高い娘が突っ立ている。やむなく扉袋部にもたれて前方注視。これで掛川〜金谷間の線路状況が変化に富んでいるのを知った。いつもは茶畑の中を蛇行するのを窓外から眺めていたのだが、蒸気機関車時代は乗務員泣かせであった区間だったことに初めて気付いたのであった。
島田から超満員となり静岡15時着。向かいホームから沼津行(750Mレ)113系4連は15時1分発。先頭車へいったらガラガラ。沼津15時55分着。接続は16時13分発東京行(352Mレ)。車中、遠鉄、天竜浜名湖に立ち寄った結果、この先の行程を時刻表で検討する。残念、この日のうちに福島に到達しないことが判明。宇都宮あたりで泊まるかと思ったが、まてまてその手前の白岡(東北本線)に義妹一家がおるではないか、夏休み行事で何処かへ出掛けていなければ……、そこで品川で降りて電話することにした。
品川到着18時18分。電話したら、姪(少5)が出てきてびっくりしよった。「おじさん大歓迎よ、白岡着く時間の連絡ちょうだい。おかあさんと迎えにいくから。」今夜の宿が確保出来た。池袋19時19分発、宇都宮行(256Mレ)は白岡に20時8分着。第1日目はこのような次第となった。

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