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【848】琴参電車あれこれ(その2) 乙訓の老人 07/5/1(火) 17:24

【848】琴参電車あれこれ(その2)
 乙訓の老人  - 07/5/1(火) 17:24 -
  
まず訂正をする。【840】で須磨の大人撮影分中、モハ1400はモハ2400が正しい。

【796】を読み直してみて、クローバー会会員で琴参電車に見たり乗ったりした人は数えるほどであろうと気付いた。あの吉谷のオッサンでも、「元大阪市電の600形が今でも走ってまっせ」と言ったら、慌てて高知へ行く時に途中下車して行ったほどである。その時、時すでに遅しで600形は庫の奥にあり、手を合わせ庫外に出して貰ったそうな。
琴参電車の正式名称は「琴平参宮電鉄(株)」で、電気鉄道とは称していない。今も商号としては継続している筈で、一頃近畿日本鉄道の傘下にあったが、近鉄のリストラでどうなったか知らない。一応、交通企業の範疇に入っているが、バス事業衰退でどうやって飯を食っているのか心配である。まさか「うどん」ではないだろう。
ところで香川県の旧国名が讃岐とは、賢明な諸君はテストを受けずしてご存知であろう。JR四国「国分」駅周辺を境として東を東讃、西を西讃と言う。この東と西は昔から対抗心が強いことで知られている。これを頭に入れておかないと讃岐を理解することは出来ない。前置きが長いのは毎度のことで、お許し頂きたい。
さて琴参電車は東讃の電車ブームに刺激され1904(明治37)年に丸亀・善通寺・琴平間、途中の金蔵寺・多度津間で電気鉄道敷設願を軌道法により出願している。既設讃岐鉄道の競合線となるとの理由で即座に却下された。東京の有力者と組んでみても、善通寺にある陸軍のためとしても駄目。2度の出願、却下の結果、県から丸亀・善通寺間に絞ってみたらとアドバイスを受け1909年、3度目の出願で1910(明治43)年5月20日に特許状が交付された。この時の出願は「讃岐電気軌道」である。
やっとの思いで手にした特許だが資金不足で着工に至らず、特許は5ヶ月後に堺市の野田某他6名に売却された。ここで登場したのが才賀藤吉である。才賀が経営する日本興業により大阪で1911年9月8日、讃岐電気軌道(株)は創立され用地買収開始。翌年には才賀電機商会と工事請負、大平電気商会(東京)と軌条売買契約をそれぞれ交わしている。ところが才賀電機商会は1914年倒産、才賀は1915年ポックリ死となった。こうした初期のアクシデントにもめげず、現地丸亀ではなんとしても「こんぴらさん」への熱意は醒めず、あの手この手で善通寺・琴平間の特許取得の努力を重ねていた。これには西讃人の東讃への対抗心の表れの一つでもあった。10年がかりで1922年に交付された。
讃岐鉄道は多度津港を起点にして東は丸亀、南は琴平へ1889(明治22)年開通。高松には1897年に到達している。これは西讃人には面白くないことであった。こんぴらさんへのルートの本流は丸亀港、多度津港からであり、高松から直行されたのでは西讃の地位低下につながるのである。讃岐鉄道は国に買収され伊予、土佐へ直行するため多度津駅移転が計られ1913(大正2)年完成、西は先ず観音寺へ、南は琴平を目指した。多度津駅移転はスイッチバック解消のためで、旧多度津駅跡は今も多度津市により保存されている筈。これにより讃岐電軌にとっては、戦雲急を告げることになった。丸亀市長を会長とした讃岐電軌期成会が結成され、本社を1917年丸亀に移転させ地元で本腰が入った。さらに琴平神社に社名に「金刀比羅宮」を入れることに許しをもとめたところ「支障なし」の返書を得た。琴平への延長特許状が交付された(1922年9月23日)直後の臨時株主総会(10月8日)で「琴平参宮電鉄」名が決定した。丸亀・善通寺間開業2週間前のことであった。
日本では社寺参詣を目的の一つとした鉄道は各地にあるが、「参宮」を社名にいれたのは1893年開業の参宮鉄道を嚆矢とし、ついで1916年宇佐参宮鉄道、この2社は蒸気鉄道。電気鉄道では琴参電鉄が最初、この7年後に仁連上人の参宮急行電鉄が開業している。
【796】は思いつくまま記したので、これより少し整理してみる。
1922年10月22日 丸亀・善通寺間開業 デハヨ形11〜15新造(軌道法)
1923年8月5日 善通寺・琴平間開通 デハヨ形6〜9増備(軌道法)
1924年1月 デハヨ形16〜18増備(軌道法)
1924年10月9日 善通寺・多度津西口間開通 デハヨ形19〜23増備(鉄道法)
1925年4月 デハヨ形24〜28増備(軌道法)
営業距離19.9kmの田舎電車が2年半で、4輪車ながら22両新造理由に次回は迫ってみる。

どこやらがこそばい御言葉を須磨の大人から頂戴し、穴があったら隠れたい思いであります。ところで【843】の読者さん、産経新聞とやらに掲載された橋桁の写真、位置など当掲示板に投稿して頂くと老人の見たものかどうか、はっきり分かると思うのですが……
引用なし
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