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京都府精華町菱田−下狛間にかかる旧日本陸軍の軍用鉄橋「煤谷(すすたに)川鉄橋」が河川改修工事に伴い、このほど撤去された。第二次世界大戦や朝鮮戦争で弾薬の輸送路として使われた「戦争の証人」で、町は地元の戦争の歴史を後世に伝えるため、8月下旬に元鉄橋付近に由来などを記した銘板を設置する予定だ。
鉄橋はコンクリート製で長さ約17メートル、幅約4メートルだった。戦時中の1941年、当時の陸軍祝園部隊(現在の陸上自衛隊関西補給処祝園弾薬支処)と片町線を結ぶために作られた軍用鉄道「川西側線」の一部だった。
第二次世界大戦中、祝園で調製する火薬が運び込まれ、完成した弾薬の搬出に使われた。その後、祝園部隊の施設が占領軍の弾薬庫となったため、朝鮮戦争(1950−53年)の際にも朝鮮半島へ運ぶ弾薬類が輸送され、休戦のころまで使われたとみられる。
市民団体「戦争遺跡に平和を学ぶ京都の会」などが2005年11月、現地保存を求める要望書を同町と府教委に提出していた。
■河川改修伴い 歴史記した銘板設置へ
鉄橋が撤去されたのは、6月下旬。府の河川拡幅工事に伴い、流量確保のため取り壊された。
町は、鉄橋の一部と、橋げた部分に取り付けられ、その移設・転用を示す明治時代の銘板を保存。8月下旬に、現地に鉄橋が刻んだ歴史などを記す銘板と、鉄橋の一部をはめ込んだ案内板を設置する予定だ。
同会の足立恭子代表は「鉄橋は府南部の重要な戦争遺跡だったので撤去は残念だが、町は一定の配慮をしてくれたと思う。きっちりとした銘板を立ててもらいたい」と話している。
最終更新:7月20日21時44分
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