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この写真は浜大津駅前にある150年以上続く老舗の「三井寺力餅本家」の店内に飾ってあったものを店主に頼んでコピーしてもらったものです。
店主も出どころが分からないそうですが、どうみても追分〜大谷間(今の月心寺のあたり?)で左側の線路が東海道線(手前に遠方信号機が進行現示しています)、右側の線路が京津線(旧10型(?)が三条へ向け走行中)と思われます。(手前が京都方の追分、先が大津方の大谷)
国が京都〜稲荷〜(旧)山科〜大谷間を開業させたのは明治12年、翌13年に(旧)逢坂山トンネルが開通し、神戸から馬場(今の膳所)、スイッチバックして大津(今の浜大津近辺)まで開業。その後 東山トンネルと(新)逢坂山トンネルが出来て東海道線が今の形になったのは大正10年。
一方、京津線が京津電気軌道として三条大橋〜札の辻(浜大津の300mほど手前)間を
開業させたのは大正元年。
したがってこの写真は京津が開業した大正元年から、東海道線が今の線に移った大正10年の間のものと考えられます。
ご存知のように山科地区の旧東海道線跡は(この写真の区間も)かなりの部分が今の名神に使われていますが、この写真からもお分かりのように、東海道線と京津線は追分付近と上関寺で2度クロスしていたはず。
上関寺(大谷〜上栄町間にあった駅、昭和46年に廃止、今の国道161との踏切があるところ)の京津線を跨ぐ東海道線の橋脚跡の遺構は今も現存しよく知られていますが、もう一方の追分付近での交叉がどのあたりでどのようになされていたのか、どなたかご教示いただけるとありがたい次第です。
【京津大谷.jpg : 273.6KB】
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