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FOND-DE-GRAS/TRAIN1900 その1
先回の駄稿が何とこの掲示板1000回目という光栄に浴した。乗車券の0001や10000番(硬券裏の番号は9999の次が0000の頭に1を付記した10000になり、その次が0001)と同じく単なる順番にすぎないが、71歳目前の爺には瑞兆と感じた。
7月15日、8時40分コブレンツ西北約20km、アンデルナッハのプチホテルを出発したおじん一行3人は、アウトバーン48(ヨーロピアンロードE44)号線を快調に飛ばし、国境に近いトリエールで一部一般国道(といっても立派なモーターウエイ)になるが、ルクセンブルグの町(首都)を4km程南方で迂回。
ルクセンブルグはベルギー、オランダ(ネーデルランド)と共にベネルックス3国の一つで大公国。面積2,586平方キロ=佐賀県、神奈川県より若干広く、人口は46万人と少ない。銀行金融業を中心に、かつては鉄鋼業も盛んだった。1人当たりGDPが日本の約倍と裕福で、欧州では文化首都でもある。
その首都の約20km東南東が目的地だが、小生がナビをチョンボし複雑なジャンクションで間違い、地上に降り道を聞いてのペタンジュ入りとなった。高速自動車道以外の地上道路標識は旧共産圏を除く欧州他国に比べかなり不備に思えた。
ここから、又はここまでが「何処其処」を示す地名標識が極めて乏しい。この辺ではないかといった途端、「TRAIN1900」の小さな標識を発見。無事ペタンジュ駅裏の駐車場横、TRAIN1900 発駅に到着10時50分。列車は午後しかないのでまずは町のイタ飯屋へ。
13時近くになると若干人も集り、シーネンオムニバス551 669(旧DBのVT95 669)がやってきた。フォンデグラ往復が1人7ユーロで、ワンマン運転のため切符は車外の詰所で買う。
13時27分発車し、無人のFuussbesch (発音が分からない)で早速離合。やってきたのは逆向き9号機の牽く列車だった。ホーヘンツオルレン1908年製45トンCタンク。
この鉄道は鉱山一式丸ごとの産業遺跡(独語も仏語も分からんが多分鉄鉱石産搬出システム)の一部で、Industrie-und Eisenbahnpark Fond-de-Gras とある。産業遺跡全体を地名からFond-de-Gras、そのうちの標準軌間鉄道を TRAIN1900 と称するようである。
地図をご覧頂くと、赤線が TRAI1900。右上始発地がペタンジュ、グニャグニャ曲がるのは複雑な地形に逆らわず、等高線に忠実に線路を敷いたためで、フォンデグラ(Giedel)が基地。スイッチバックでボア デ ロダンジュに達し、ここでも国鉄線と接続していたようだ。
藍色の線は軌間700mmの坑外・内線で、これは次回以後に触れる。一帯はルクセンブルグ、ベルギー、フランス3国の国境付近で、坑内線出口のひとつはフランスになる由。
TRAIN1900 としての運行は鉱山一式の公開と同じく5月〜9月の日曜午後のみ。うまく合わせて旅程を組んだ先達ウメムラツーリストは大変な努力をしたことが分かる。鉱山鉄道だが、現在では各種車輌がコレクションされ、見事にレストアされた車輌はすべて庫内に納められている。
雨ざらしの車輌も山程あり、中には部品を摘出し形骸のみ残すコックリル製トラム型蒸機、無火機関車や本来無縁の電気機関車も複数ある。構内は広くまだまだ集めても大丈夫で、車輌庫や転車台までも新設中。
運営もレストアも案内も、すべてボランティアであろう。彼等は車で来るが、訪ねる客は TRAI1900 を利用するシステムで、観光バス等とは無縁なのも気持ちが良い。
反面集客数は当然限定され、運輸収入などタカが知れているが、坑外・内線が多客に対応できないから、これはこれでうまく機能しているのであろう。それにしてもこれだけの一式保存には、いくらボランティアでも半端でない経費が必要で、財団化か公費補助かが相当になされているに違いない。
なお先回タクシー料金の部分で文字化けが生じたが、原文字はユーロの記号である。また各写真等はクリックにより拡大する。
【Fond-de-Gras地図.jpg : 197.9KB】
【ペタンジュ駅.jpg : 194.0KB】
【TRAIN1900.jpg : 195.7KB】
【庫内の蒸機・客車.jpg : 187.1KB】
【復元客車.jpg : 198.4KB】
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