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記憶にある京阪電車の色は昭和16年、3歳のみぎりからである。従兄が陸軍大学を卒業して藤森駅西南にあった砲兵40連隊に配属されたことによる。月1度の面会日には母に従い、重箱に詰めた「叔母の手作り」と共に訪問があった時以来である。1000、1100、1500形は青と黄、それ以外は濃い緑、それぞれの明度や彩度など覚えている筈はない。
戦後、昭和20年12月末から三条花見小路東入るの耳鼻咽喉科への通院が始り、三条駅の柵にもたれての電車見物が始まった。押し並べてチョコレート色だったが、昭和22年(小3)だったと思うが500形が上半黄土色下半緑で、チョコの1200、1500形を挟んで現れた時は驚いた。この新色は翌年1300形に引き継がれた。以後、鋼製車は新色に塗り替えられていった。新生京阪成立を前に青とクリーム(60年前の近鉄特急色より少し濃い)が標準色になった。木造車も同色となったが、29年2月〜3月に小豆色一色となった。なんでも創業時の色だと聞いたが、現近鉄の窓回りの臙脂を更に赤くしたような色で、けばけばしいものであった。赤を混合したためか退色が早く、翌年暮れには緑一色に変更された。この緑は明るいもので、木造車には不釣り合いに思えた。
一方、鋼製車は今回、橋本工房で完成させようとしている1000系に採用される筈の新色に29年から変更されることになった。第1号は車体更新車の501で、ナニワ工機から4月に送り込まれ、しばらく標準色とチンドコ編成で走るのが見られた。この頃から新色への塗り替えが急速に進んだ。なんでも今回のベースになった茶系統の色は、イタリヤのファッション界で流行したものだと、守口車庫で聞いた。
その後の色の変遷は皆さん御存じの通り。1650形登場までの10年間、京阪の「色はいろいろ」で模型人は苦労している。トロリィモデルクラブに在籍している時、高名なモデラーから京阪1型(北大阪→新京阪→愛宕→京阪神→京阪)の色の変遷の問い合わせがあり、北大阪時代は分からないが、愛宕の時は真っ黒だったと返事したら、「驚いた」との返事があった。京阪800型(元琵琶湖汽船)も新造時は真っ黒で、京阪線転入時はそのまま走っていたと聞いている。
10000系登場の時、何処かで見た色だと思った。「そうだ、1996年5月にフランクフルトで見た色だ」と気づいた。
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