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九州まで所用があり、時間的にロスの少ない乗り物を
というので初めて大阪から行橋まで「富士」を使いました。
同行に15歳のせがれ、寝台車は「ソロ」のオハネ15の2000番台でした。
寝台車に乗るのは2004年のハンガリーのブダペスト−ドイツ・ミュンヘン
以来ですが、日本の寝台列車は末期的で「しんどい」列車やなあと嘆息。
徳山から車販のおばちゃんが乗ってきてやっとコ−ヒ−が飲めて少し
気を取り直し。
周防の海の見慣れた風景がなぐさめです。
下関で老骨にむち打ったEF66が離れEF81 400に。
さらに門司で「はやぶさ」はそのまま81が曳いて別れていき
「富士」の先頭にはなつかしいED76が立ちました。
小倉−行橋間の通学列車に少年時代、どれだけ世話になったでしょう。
これが今回一番嬉しかったです。
もう今、小倉で買った九州時刻表をみると、東京−北九州は航空機が
10便くらい就航し、圧倒的な新幹線以外の手段はお金の無い人用の
夜行バスくらい。日豊路には彗星もなく、大分以南のブルトレはありません。
関西からは2本のフェリーがありますが、消え行く夜行列車に乗れたことは
子供にとり、何かの思い出くらいになったかなあと思いました。
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