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11月10日土曜日、旧形国電愛好家グループのオフ会で「佐久間レールパーク」を訪れました。流電のクモハ52004をはじめ、ED11、オハ35等貴重な車両16両と新幹線0系前頭部が保存されております。保存状態は野晒しの割りには、定期的にメンテナンスが行われているため良好です。当日はオロネ10が入場しておりました。HPで確認したところでは、52004は中線でキハ48036(キハ11)とクヤ165―1に挟まれた位置にあり、撮影は諦めていたのですが、良い位置に停められておりました。停車位置は時々変更されているようです。塗装が昔の急電色になったり、スカートが取り付けられたりして、少しでも原形に近づける努力の跡は見られるものの、いかんせん中途半端で、下手な小細工をするよりも、昭和32年に阪和線から転入以来21年に亘り飯田線のスターとして活躍した車両ですので、廃止時の姿で良かったのではないかと思います。その他、ED112が綺麗に整備され、単独で停められおり、パンタを上げれば直ぐにでも走り出すように思えました。
中部天竜までの行程ですが、他のメンバーは東京駅7時36分発豊橋停車の「ひかり363号」で出発されましたが、私は未成線に終わった「佐久間線」の痕跡を辿るべく、7時6分発浜松停車の「ひかり401号」で出発しました。浜松で遠州鉄道に乗換え、途中西ヶ崎で元豊川鉄道のED282を撮影、終点の西鹿島から遠鉄バス北遠本線の水窪行きに乗継ぎましたが、待ち時間に湘南窓のクハ85を撮影。相棒のモハ25は吊掛車で主にラッシュ時の4連運用に使用されております。10人程の乗客を乗せたバスは天竜川の右岸を北上しますが、市街地が途切れ、営業所のある山東を過ぎると乗客は私を入れて2人。途中の西渡(にしど)で中部天竜行が接続待ちをしていましたが乗換客はゼロ。終点の水窪まで乗車すると電車に乗れなくなるので、途中の相月駅前で下車しましたが、もう一人の客は未だ乗っておりました。相月駅はトンネルにはさまれた棒線駅で、道路を隔てた向かい側に「佐久間町観光トイレ」書かれた立派な公衆トイレがあります。果たして利用者はいるのでしょうか。中部天竜には「ひかり363号」→飯田線519Mに乗継ぐよりも1時間早く到着しました。
帰りは飯田から新宿行の高速バスに乗る予定にしていたのですが、満席のため城西で下車し、来た道を戻りました。このバス路線は元々遠鉄で運行していたのですが、戦後間もなく鉄道先行路線ということで国鉄が買収。その後、平成4年10月赤字を理由にJR東海バスが撤退し、再度遠鉄が運行しております。西鹿島〜水窪間の所要時間は1時間40分、JR東海バス時代の運賃1740円が、遠鉄になって半分以下の630円と大幅な値下げとなりました。全線通し運行は5往復ですが、水窪〜浜松間の最短ルートとしての利用価値はあると思います。ちなみに町村合併で水窪町も佐久間町も浜松市天竜区となりました。帰りにバスでは始発から乗車したと思われる2人連れの男性は、西鹿島で磐田行のバスに乗継ぐが、バスの待ち時間があれば電車で浜松まで行き、JRに乗ると言っておりました。実際には磐田行のバスは山東から西鹿島駅を通らずに天竜二俣駅を通って磐田に行きます。このルートは昭和3年11月に開業し、昭和11年1月に営業を休止した「光明電鉄」のルートで、機会があれば乗ってみたいと思いました。
【遠鉄ED282.jpg : 29.7KB】
【遠鉄クハ85.jpg : 36.3KB】
【クモハ52004.jpg : 31.4KB】
【ED112.jpg : 40.6KB】
【スニ3095.jpg : 27.8KB】
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