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初日の出は布団の中でテレビで見ていた。いつもなら起きているのに……
編集部が紹介したように本年はDRFC50周年の年である。
1958年元旦、クローバー会の年金族は何をしていたか、思い出してほしい。須磨の大人はきっとステーションホテルを重ねていたに違いない。老人はまず京阪詣でだ。何時に家を出たか手帳に書いてないが、三条京阪で518号の臨急円板を撮っている。その後、競争とあるから518号先頭部から複々線区間かな?意味不明のメモ。それから近鉄大阪線の車号が20駒連続。これは覚えている。高安検車区周辺だ。1450、1460形とあるから、この2種を追い求めに行ったのだ。次いで63、31の車号。これは南大阪線道明寺で電関だ。ワブ9851、9861は貨車。その次は5800代の車号が4両。鋼体化車。最後はラビットと記されている。前年は東海道線と京阪に京都市電だらけ。その反省にたって近鉄詣でとなったようだ。この時のフィルムはない。あれば仁蓮上人が喜ぶだろうが、下鴨の裏庭に建てたブロック造りの納屋に収めて富山へ赴任したら、黴で見られぬ姿となり処分したと甥ッ子に言われた。
こんな年明けだったが、DRFCは既に胎動をはじめており、小川君には鈴木君を紹介され、2回生前期登録が済むや太田さんの松ヶ崎の下宿へ自転車を走らせる日が何度もあった。故郷(北海道)へ帰った太田さん、その後音信がない。この方の温和なリーダーシップによりDRFCは結成されたのである。
老人の今年の目標、VISTAを使いこなしたい。
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