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【1124】若者2人「暁に祈る」
 湯口 徹  - 08/1/15(火) 17:42 -
  
「暁に祈る」が何のことか解る人は相当な年齢である。本来は1940年制作の「征戦愛馬譜−暁に祈る」なる戦意高揚映画の題および主題歌だそうだ(小生見た記憶はない)が、我々の年代では、敗戦後のおぞましい記憶と結びついている。

ソ連占領圏で敗戦になった日本軍人(民間人も含め)が、シベリヤその他に抑留され、過酷な労働を強いられた。その数60万人に及び、6万人が栄養不良等で死亡。日本が1919〜25年列強の誘いで革命最中のシベリアに干渉出兵した、その20余年後のスターリンによる報復とされている。

ウランバートルといえば横綱朝青龍の出身地だが、当時ソ連の衛星国であったモンゴルにも同様多数が抑留。その郊外の収容所で日本人捕虜隊長の吉村某(元憲兵軍曹の由)が、自己の保身・成績のため、仲間である日本人捕虜にノルマ以上の労働を強い、果せなかった捕虜に残虐なリンチを加えた。

その一つが「暁に祈る」で、棒杭に上半身裸で縛りつけ極寒に放置。翌朝日の出時には祈るかのごとく首をたれこと切れていた、というのである。吉村某は帰国後裁判に付され、最高裁で懲役3年が確定し服役=世に言う「吉村隊長事件」である。

と、ここまでが前置きで、これからがやっと本題。1962年1月13日、「旦那」こと重澤君と小生は、鉄道写真撮影には過分と思われそうな冬装束・装備で先ずは北陸線夜行列車で糸魚川経由大糸線白馬大池へ。当時2人共前年4月以降サラリーマン初年兵で、仕事にも慣れ、若干だが小遣いにも余裕が出たところであった。

大糸線ではC56が押すラッセル列車に出会い、夜明け前にカラーで撮れたのはASA160という、当時驚異的なエクタクロームハイスピードのお陰である。その後塩尻、小淵沢経由で小海線に。2人が小海線に10年間どっぷり漬かるきっかけになるのだが。

野宿に選んだ場所は南アルプス・裏富士が見渡せる念場ヶ原で、線路脇の若干広がった地にキャンプ。2人共米海兵隊=朝鮮戦争での兵士の死体を入れ日本に運び、消毒して払下げられた、極上のダウン寝袋をかついでいる。

真夜中に事件?はおきた。2人共到底寝ていられなくなったのである。気温が想定外=極度に下がったというだけの、原因は究極に簡単だが本気で凍死?の恐怖を、それも全身でひしと感じた。体中が締め付けられるようで、動きもままならないのである。

今思えば到底ウイスキーなどといえた代物でない、単なる色つきアルコールにすぎないトリスがリュックサックにあり、それをラッパ飲みでぐびぐびやった。指や襟元にこぼれた液体が余計冷たさを増幅したが、驚いたのはこの後。

元来酒なるものに完全に縁のないどころか、それを愛でてやまない手合いを心底?哀れんできた重澤旦那が、「おい、少しくれ」といったからである。これにはびっくりしたねぇ。流石の酒無縁人間の彼も、この低温度下、本気で生命の危機を感じたのであろう。前途有望な若者2人の命が救われたのだから、サントリーのエセウイスキーを悪く言う気はないが、間違いなくアルコールではあった。

不気味なまでに煌煌たる月明かりの中、2人は枯木や草を集め焚き火をした。大きな丸太のような木切に、何の造作もなく新聞紙だけで火がついたのにも驚いた。それだけ空気が乾燥していたのだが、ただ周辺に火が広がる事態には十二分に気を使ったことである。

実はすぐ横に保線小屋がある。これは小海線冬の名物=霜柱が軌道を持ち上げ、レールの不等状態が脱線原因となる。そのため保線区員が列車走行前に霜柱が持ち上げたレールの下に木切れを差込み、列車の重みでレールガタガタにならないようにする。その置き場兼待機・休憩場である。

この中には燃やすのに好適な木切れが山ほどあるが、それを拝借するわけには参らない。周囲に燃やすもの=無主物に事欠かなかったのは今思い出しても幸甚だった。アルコールと火のお陰でゾンビ同然からやや人間に戻ったので、また寝袋にもぐりこんだが、深夜小淵沢からの貨物列車が上ってきた。

いくら月が煌煌とはいえ、写真が撮れる明るさではない。寝袋の中から過ぎ去るC56と確か1両だけのワフを見送った。投炭の度に明滅する罐の火が何とも表現のしがたい輝きで、46年経つ今でも、あの時の寒さ(なんてものじゃなかったが)と共に脳と目に焼きついている。

明け方は更に温度が下がる。また体中締め付けられる思いで寝袋から這い出したが、周囲の水気のある物はすべて凍っていた。谷川から汲んだ水はコッフェルのまま、昨夜炊いた飯もカチカチに、命の綱のガソリンストーブ用燃料のポリ製タンクは見事にペコッと凹んでいた。温度低下で中の空気が縮小したのである。

そしてその後も忘れがたい夜明けを、南アルプス連峰から差す太陽がもたらした。その背後には裏富士が。空には一片の雲もない。

後刻清里駅待合室の最低温度計を見たが、零下25度までしか目盛りがなく、青いアルコールはその25度のところで縮こまっていたから、我々が寝た青天井の下では、恐らく零下30度位だったのではないか。

これが我々2人の「暁に祈る」である。


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