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【1172】通勤の車窓 今昔 −2−
 総本家・青信号特派員  - 08/2/18(月) 23:53 -
  
●淡路の話題 もうふたつ
現在の淡路付近の線路は、かつての東海道線の廃線跡を利用したものである。
千里線の下新庄〜吹田間の東海道線交差付近から、淡路を通り、崇禅寺を過ぎて、再び東海道線と交差するまでの、約4.5キロは、明治9年、官設鉄道東海道線の向日町〜大阪間全通時の路線であった。その後大正2年に、吹田〜大阪間が現在の路線にルート変更になり、不要となった線路敷きを利用して、大正10年に当時の北大阪電鉄が、十三〜豊津間を開業したものである。
現在、その面影を偲ぶ遺構は、淡路付近にはない。しかし、下新庄〜吹田間の新神崎川鉄橋の橋脚の一部は東海道線時代のものであることは良く知られている【写真1】。東海道線時代はポニーワーレントラスだったが、廃止に伴いトラスは撤去され、北大阪電鉄開業時に従来の橋脚の間に新規の橋脚を設けてガーダー橋となった。この鉄橋から下新庄寄りの道路を越す箇所の橋台も煉瓦積みが残り【写真2】、下新庄駅の梅田方面ホーム下には、水路を跨ぐ煉瓦積みの暗渠も残っている。これは一時不明が伝えられたが、現地に行ってみると、柵ができて近づけないものの、小規模ながらアーチを使った優れたデザインの小品がまだ健在であった【写真3】。
現在では、阪急電車が頻繁に出入りする淡路駅を95年前までは、官鉄の蒸機が走っていたことを思うと、それだけで鉄の心が騒ぐというものだ。

阪急で通い始めて、天六方面に向かって左手向こうに見える、金網に覆われた黒い物体が気になっていた。それがどうやらEH10らしいことに気がついたのは、もう相当前のことだったが、なかなか現地に行く機会に恵まれなかった。このたび、ようやくのことで確認することができた【写真4】。大阪市公園局が所轄する東淡路南公園にそのEH1061はあり、昭和57年まで吹田第二機関区に所属して貨物を牽き、最後まで残ったEH10であると説明版には書かれていた。EH10の保存機というのは全国的に見ても珍しいのではないかと思う。保存スペースの関係で、大きな車体のEH10は決して歓迎される保存機ではなかったはずだ。「気かん車」の文字が笑いを誘うが【写真5】、保存状態は悪くはない。2分割車体の黒に黄帯のマンモス機関車が、モーターの唸りも高らかに50両近い貨車を引いていた昔日を思い出した。


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【1 新神崎川橋梁.jpg : 207.3KB】

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【2 煉瓦橋台.jpg : 328.3KB】

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【3 下中央が煉瓦アーチ.jpg : 355.5KB】

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【4 檻の中のEH10.jpg : 311.0KB】

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