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湯口先輩の「かなり前の名鉄築港線」は、昭和32年3月に撮影された当時の貴重な記録写真で、よくぞ撮影されたものとビックリしている次第である。特に単車群は昭和32年度中に姿を消しており、正に危機一髪で、湯口先輩が撮影されておられなければ、我々団塊の世代は、現車確認の機会は無かったかも知れない。その恐ろしい車両群の解説を「遅滞なく義務を果たされよ」とのことであるが、何分にも初めて見た車両であること、古いピク誌が実家の物置にあるため、手持ちの乏しい資料で判る範囲を解説したい。
サ11、サ21に関してはさっぱり判らないため、この部分は乙訓の長老のお力をお借りしたい。
サ50型は、デワ1型のブリル台車に新川工場で製作した木製車体をのせたもので、昭和16年にサ51〜56の6両が作られ、当初は各務原線の長住町〜飛行場間で使用、翌17年にサ57、58が完成すると全車築港線に転属し、昭和32年に廃車された。
サ120型は美濃電気軌道が、鉄道線である揖斐線用として大正15年、藤永田造船所で10両製作した車両で、美濃電時代の車号はセミシ67型67〜76であった。後に連接車に改造されたモ110、モ111→モ401は、メーカーが異なるだけで同一グループである。名岐鉄道合併後モ70型、名鉄合併後モ120型となった。昭和30年に同グループの内120、123、129の3両は傍系の豊橋鉄道に譲渡され、同社のモ121〜123となり、121、122、124〜127の6両が電装解除の上、築港線に転属し、昭和32年に廃車された。128のみ揖斐、谷汲線に残り昭和34年に廃車となった。
「セミシ」とは「セミスチール4輪車」の意味で、揖斐線で活躍したモ510型は「セミボ510型、セミスチールボギー車」の意味であった。この称号は、美濃電気軌道の他、富山ライトレール←JR西日本富山港線の前身、富岩鉄道で使用していた。
サ2111は、岡崎電気軌道が大正13年に鉄道線として大樹寺〜三河岩脇・門立間開業時に日車で製作したデ200型201、202の内のデ202である。岡崎電気軌道は昭和2年4月に三河鉄道に吸収合併され、三河鉄道は昭和16年6月に名鉄に吸収合併されている。デ202は三河鉄道時代に電装解除され、名鉄合併後サ2111となり、昭和35年に廃車となった。ここで注目すべきはサ2111の台車で、リンケホフマン製のものである。昭和18年近江鉄道から購入したサ2251、2252のいずれかが履いていたものと思われるが、湯口先輩が撮影された時点では2251、2252ともに健在であるので、どのような台車振替が行われたか、ご存知の方はお教えいただきたい。
ここから「少し前の話」に移りたい。
昭和44年、電機の引く「列車」から「電車」に変わった時に投入されたのが、写真のク2815+モ3818+ク2816である。その後、昭和50年、東濃鉄道から購入した元西武の車両と交替した時もビックリしたが、残念ながら撮影していない。この時はク2815がサハ代用で中間に入り、モ3791+ク2815+ク2791の3両編成となった。
話が前後するが、湯口先輩が撮影された単車群と交代で元名岐鉄道のキボ50型(51〜60)が前身のサ2060型(2061〜2070)が入線し、昭和42年まで使用された。廃車後、サ2066と2069の2両は福井鉄道に譲渡され、鯖浦線のラッシュ時の増結用として使用された。経歴は下記の通りである。
名岐キボ56→名鉄サ2066→ク2066→サ2066→福井サハ21
名岐キボ59→名鉄キハ103→サ2069→ク2069→サ2069→福井サハ22
写真は上から
1. ク2815 昭和48年7月8日 大江
2. モ3818 昭和48年7月8日 大江
3. ク2816 昭和48年7月8日 大江
4. 福井鉄道サハ21 昭和42年3月20日 水落
5. 福井鉄道サハ22 昭和42年3月20日 水落
【ク2815.jpg : 118.9KB】
【モ3815.jpg : 125.3KB】
【ク2816.jpg : 135.9KB】
【福井鉄道サハ21.jpg : 107.8KB】
【福井鉄道サハ22.jpg : 132.6KB】
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