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◎堺筋本町
特派員の通勤の目的地である。
この「堺筋本町」、地下鉄堺筋線の開業時に付けられた駅名が、付近を呼び習わす地名として定着したが、このような縦横の座標軸で言い表す京都のような地名表記は、そもそも大阪には存在しない。堺筋本町駅の所在を住居表示で言えば本町一丁目であり、本来なら正真正銘の「本町」となるべきだったが、本町の駅名は昭和初期から御堂筋線にあり、それと区分するために付けられた苦肉の駅名であった。
かつての堺筋には大阪市電が走っていた。中心部を貫通する市電堺筋線は、東京なら銀座線、京都なら烏丸線に相当するメイン路線であった。そのあたりのエピソードについては、当会の大先輩の吉谷さんが「青信号」などに縦横無尽に書いておられ、現在の様子と対比するとたいへん興味深い。
さて、その堺筋本町、市電時代の本町二丁目を行く市電(写真1・昭和41年木村信之氏撮影)と、現在の同一地点(写真2)。左右の本町通にも市電靭本町線が走っていたが、昭和39年に廃止され、この写真には写っていない。2枚を対比してみると、なんと背後のビルが全く同じなのに驚かされる。この間40年以上が経過しているのに、である。それに続く、ビル群にもそのままのものが散見される。建て替えの激しい都心部にあってその光景は奇跡的である。
写真2に写っている小型のバスは「赤バス」と呼ばれる、一乗車100円の大阪市コミュニティバスであったが、この「中央ループ」は3月末をもって廃止されてしまった。赤バスは平成12年に運行が開始され、行政区ごとに、官公庁や病院などを小まめに回る地域密着型の公共交通サービスだった。他のルートが継続維持されるなか、この中央ループだけが真っ先に廃止されてしまった。
確かにタマに見る赤バスに客が乗っているのを見た試しがない。大阪中心部を走るバスは過去にいろいろな手が打たれたが、結局どの方法も定着しなかった。一時間に1、2本程度、しかも渋滞でいつ来るか分からないようなバスは、イラチの多い大阪のビジネス街では相手にされなかった。少々の距離なら歩いたほうが早くて正確だし、また大阪は自転車が異様に多い街でもあり、「歩きとチャリ」に赤バスは負けたと言えよう。
蛇足ながら3月に消えたものは鉄道界で話題を集めたが、バス界にも多かった。たとえば大阪の定期観光バスとして走り続けた二階建てバス「にじ号」は、乗客減もあって、バスはもちろん定観バスそのものが大阪から消えた。阪急淡路駅と新大阪駅を結び、阪急バスが委託運行を行っていた「あいバス」もわずか2年程度でなくなってしまった。
【写真1 市電時代.jpg : 71.6KB】
【写真2 同一地点.jpg : 292.5KB】
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