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私が書いた電子手紙にすぐお返事を頂きましたが和田様、これからはこの電子
掲示板にお願いします。決して巻紙などで送らないで下さいね。
掲示板、書きこみが増えると楽しみです。文章のなかにちょっと鉄道が
でてくる。これがよろしいね。城東線なら私はすぐ、三段窓の63型が
眼にうかびます。入り口を入ったらすぐ真中に床から天井まで握り棒が
一本あったのを憶えています。(和田様の親書無断転載)
私が乗った70系も63系の近代化車両だったと思います。
もともと私は客車が専門でした(それも茶色の)ので電車は門外漢ですからま
ちがっていたらお許し下さい。
この当時は戦災復旧車両が目白押しで、客車も70系(オハユニ71など)があり
ました。これは台枠利用で準新製の60系とはちがいいかにもいい加減なバラッ
クの様なものでした。
電車も同じように急増する輸送力を補うため物資不足の中急造されたのが63系
でしたがご存じの通り“桜木町事件”があり安全性確保のため不燃化と三段窓
の全部上昇化改造がされて70系に改番されたと思っております。
京都-西明石間の緩行や環状線、阪和線などで見かけられましたが、確かに三扉
の入った所に乗客のための握り棒なのか天井の落下防止のためなのか光った棒が
あったのを覚えております。
考えてみれば和田様と私は学年で三年、私は現役、和田様は4浪、お知り合いに
なった時は和田様は南方から引き上げて来られての復学とか・・・
学生の70系だったのですね。
間違いがあればご指摘下されば幸甚に存じます。(電車のくだりに関してのみ)
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