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【1416】武蔵野と讃岐をつなぐもの
 乙訓の老人  - 08/6/10(火) 13:13 -
  
【1407】を拝見、豊春に縁ができていると、思った。息子の連れ合い(お嫁さん)の実家へは当駅下車、春日部方面へ徒歩7〜8分である。野田線は複線となり8000系6連が往来している。彼女の育った生家の近く、線路際には7階建てのマンションがあり、外部廊下から3210系が走っていた頃の写角の撮影ができそうだ。そのころは田圃であったのが、今は家屋が点在する。左背後の林は寺か神社のものではないだろうか。このあたりは今も武蔵野の面影を残しているところもある。7年前に初めて降り立った時は5000系6連で、大宮から吊り掛け音を楽しんだ。
さて、キッコーマン醤油に煮込まれた総武電車が3両、讃岐平野を走りまわったことは良く知られている。1948年、供出車として東武鉄道から高松琴平電鉄に譲渡された、形式称号が7000、9000形となった総武モハ1001,1002→710,720,クハ1201→910号である。制御方式はTDK電動カム、制動方式は自動ブレーキAMMで、当線では在来車と連結運転不能であった。1954年初訪問の時の姿は記憶にない。翌年は3連で、仏生山で留置されているのを見ている。1957年、瓦町で4連の姿をキャッチ。山陽107→920を加えていた。形式称号は920となり、インフレ解消となった。この時、この編成は自動ドアであるのに気付いた。920の扉部突き出しステップ幅が大きいので仏生山でスナップしている。
Tsurukame君の1961年3月撮影フィルムを点検していたらとんでもないシーンを見付けた。500+910+710+920+720らしい編成で、500は制御制動方式が異なるため本来連結運転をしない筈だ。が、瓦町で1両解結して、折り返しの4連に繋げて仏生山に入庫させる運用があったから、それだろう。500に客の姿なく引かれてゆく姿であろう。HL−SME化は1967年。その後、710と910は車体を交換、910(元710)を電動車化、730とした。この頃から老人は冬眠生活に入った。1988年仏生山へ行ったら730→880となっており、廃車寸前の姿があった。3、4年後、再訪問したら長尾線の予備車として整備するとのこと。次の訪問時、美しい姿となっていた。作業の合間を縫い整備したので1年半かかった由。だがいつの間にか姿を消してしまった。
「さぬきうどん」は「いりこのだし」で小豆島の淡口醤油を使う。武蔵野からやってきた3両は、HL−SME化で「さぬき」化されたことになる。


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