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◎魅力のC55
もうひとつ、国鉄蒸機で気になる形式があった。C55である。この当時、C55がいたのは、北海道と九州のみ、それだけにC55との対面は、長い撮影旅行との思い出に重なる。北海道では、旭川区8両、苗穂区3両、室蘭区3両が、それぞれ客車列車を牽いていた。旭川区では宗谷本線の急行「利尻」も牽いていた。
言うまでもなく、C55と言えば、スポーク動輪が特徴、C51にはほとんど縁のなかった世代にとっては、スポーク動輪と言えば、C55を指す言葉だった。実際、C55の横に立ってみると、動輪の向こう側の景色が通して見えてしまうというのが、C55ならではの印象だった。
写真1は宗谷本線音威子府駅に停車中の322列車を引くC5548。まだ2灯化される以前で、LP402の前照灯が実に凛々しく映えている。停車中であるが、緩いカーブの外側から、少し低い位置から見るC55は、より美しいプロポーションを浮かび上がらせる大好きな角度である。
322列車は、稚内を朝に出て、延々宗谷本線を走り続け、晩に終点の小樽に着く普通列車で、日中たっぷりと道北の旅を満喫できる貴重な列車である。私も、同行の山川さん、小西さんとともに稚内から乗車、3時間余りの道北の車窓を楽しんで(と言っても、連続夜行の疲れでほとんど寝たままだったが)、11時18分に音威子府に着いたところ。C5548+マニ362071+スユニ61511+スハフ32407+スハ32849の編成で、後部に2両(番号不明)を増結、11時35分に発車するまでの小休止のひとこまである。
編成の中に2両の荷物車がある。宅配便のなかった時代、鉄道が扱う手小荷物が小口輸送の中心だった。とくに距離のある北海道内では、このように2〜3両の荷物車を組み込んだ客車列車が多かった。
音威子府は、天北線を分岐する道北の要衝駅だった。国鉄の城下町として栄えたが、JR後急速に寂れてしまった典型としてよくマスコミでも紹介される。事実、駅前には小規模ながらも商店が連なっていて、地方の乗換駅としての機能を果たしていた。駅の真ん前にはパチンコ屋もあった。百円、二百円で、列車待ちの時間をつぶすには恰好とあって、地方の駅前ではパチンコ屋をよく見かけたものだ。ギャンブルは毛嫌いした特派員も何度か店に入った記憶がある。いまはすっかり駅前から姿を消し、どんな田舎のロードサイドには魔窟のような店が建ち並ぶ時代となった。
駅の構内も、いかにも北国らしい跨線橋、材木を満載したチキ、トラなど、画面の中から古きよき時代の情景が伝わってくる。
もう一枚のC55は、室蘭機関区のC5532、流線形の改造機である。C55のうち、20〜40号機は、当時流行の流線形にならって、全体をカバーで覆って流線形になった。点検作業の面倒さばかりで、大した効果もなく、すぐに元に戻された。密閉キャブで、キャブ全体が深く、キャブ下辺部が斜めに切れているのが、流改機のポイントである。室蘭駅は全くのの終端駅で広い構内を持っていた。機関区で撮影後は、小西さんと写真右手に見える小山へ登り、構内全体を見下ろした。
苗穂区、室蘭区のC55は、その翌年の昭和44年には姿を消し、トップナンバー機などの一部は旭川区に転属、宗谷本線で最後のC55となって、C57ともに活躍を続けたが、昭和49年には姿を消してしまった。
【写真1 音威子府.jpg : 290.7KB】
【写真2 室蘭区.jpg : 374.5KB】
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