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【1428】天然色で振り返る40年前の日々−13−
 総本家・青信号特派員  - 08/6/19(木) 23:19 -
  
◎大沼の82と62
札幌から夜行の鈍行に乗って、大沼へ戻ってきた。ぐっすり寝込んでいて、何気に目を覚ますと「おおぬま」の駅名標。あわてて、散らかっていた荷物をかき集め、発車間際に飛び降りた。9月とはいえ、夜明けはさすがに寒い。待合室で震えながら明るくなるのを待つ。今日は、ここで一日ゆっくり写すことにする。
大沼駅を出て、線路と並行する国道を仁山寄りに戻ると、小高い丘にかかる。ここに恰好のお立ち台スペースがあり、眼下に複線の函館本線、大沼駅、小沼、その向こうに駒ケ岳がバッチリ収まる典型的な絵葉書写真が撮れる。撮影地ガイドといった指南書がまだ十分でなかった時代だったが、大沼だけは一級の撮影地としてよく知られていた。
景色に加えて、なにしろ本数が多い。鉄道・連絡船が全盛の時代のこと、優等列車、貨物列車はすべて函館へ向け、ボトルネックのようになって大沼を通過し、最後のラストスパートを掛けていた。
なかでも圧巻は、キハ82だろう(写真1)。電化が到来したとはいえ、北海道の特急は、すべてキハ82で、大沼では「おおぞら」「北海」「おおとり」「北斗」、計4本が上下していた。写真は函館発旭川行「北斗」。増結編成も加えた堂々の10連が、轟音も高らかに走り去る光景は一幅の絵だった。まだ急行が幅を利かせていた時代のこと、本数も少ない82特急は、秀逸なスタイルと相まって、まさに「クイーン」の輝きだった。
ただ、手にした切符は均一周遊券だから特急には乗れない(料金さえ払えば乗れるが)。憧れだけの列車が通り過ぎるのを見送るのみだった。よく貧乏旅行の最後のご褒美に、特急寝台に乗ったり、食堂車で食事したりとか聞くが、私は最後の最後まで特急とは無縁の貧乏旅行を貫いた。
列車は大沼から二手に分かれる。写真のような下り列車は大沼公園廻り、上りは勾配緩和のため海沿いの砂原廻りとなって森で再び合流することとなる。
このお立ち台から手前へ、少し仁山寄りへ行くと、線路は湖の小沼に沿って走るようになる。埋め立てられて国道ができてしまったが、以前は国道側も湖で、ちょうど湖の中央を走るように函館本線があった。
ここで、上り「ていね」をとらえることができた(写真2)。C62については、稿を改めて記したいが、ご存じツバメの2号機だ。山線で見られた絶叫はなく、いまは単機で函館までの行路を無事終えようとしている穏やかな表情のC62であった。


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【写真1大沼の82特急.jpg : 302.8KB】

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【写真2湖畔のC62ていね.jpg : 413.3KB】
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【1428】天然色で振り返る40年前の日々−13− 総本家・青信号特派員 08/6/19(木) 23:19 [添付][添付]

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