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大変な騒動を巻き起こし、すみません。
ことの発端となった勘違いは今回紹介のスハ33と称する客車である。
5日帰京の際、琴平へ出た。オハ31に挟まれた見たことない客車を発見。
1954、1955年の四国旅行の時はオハ31パレードであったのが、DF50増備に従い
本州から20m車が続々転入してきた。名著「日本の客車」はどなたかに贈呈
したので手元にないが、スハ33はなんかの寝台車のなれの果てと記されていた
ように記憶していたのだが・・・・・・・。
いずれにしてもスカタンをまたやってしまった。ダブルルーフの屋根は
琴参の無蓋貨車の次の駒にあり、早朝、琴平駅でウロウロしたのを思い出し、
そうだ、あの時のダブルやないかと、軽い気持ちが客車の造詣深い諸兄に迷惑
を掛けた起因となった。
琴平での86の貨物列車は初見で、土讃線はD51、予讃線86が土讃線DL化によりC58
となった。DRFC現役時代の国鉄の記憶はこれぐらい。
1963年11月から6年間は、キハ55のキャブ車掌台後ろの補助席を利用していた。
半世紀前の話でも 誤魔化しが効かないのが当会の良さであろう。
皆様、ごめんなさい。
【問題のスハ33.JPG : 57.7KB】
【86の貨物列車.JPG : 57.6KB】
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