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総本家・青信号特派員さん書込み、【1417】天然色で振り返る40年前の日々―10―(08/6/10)で、明治鉱業昭和鉱のクラウス17号機を当時としては珍しいカラー写真で紹介されておられます。
本文の中で「途中の駅にはかつて使用されていた木造客車が留置されていた」と書かれておられますが、たまたま、その客車を撮影しておりましたので紹介したいと思います。
途中の駅とは、恵比島の次の幌新駅、客車はホハフ2854とホハニ201の2両です。
ホハフ2854の経歴は明治42年3月大宮工場製で、昭和27年12月国鉄より譲受、車番は国鉄時代のものをそのまま使用しております。(写真1)
ホハニ201は、ホハフ2854と同時期に国鉄より譲受けており、国鉄時代の旧番はホハ2213で、留萌鉄道で車掌室を設置してホハフ201、昭和29年に荷物室を設置してホハフ201となり、昭和32年の更新修繕で写真のスタイルになりました。前歴は明治35年日本鉄道大宮工場で、い361から国有後イネロ5060→ロネロ5080→ホロネロ250→ホロヘ6580→ホハフ2213と変化しました。(写真2)
この2両、実は留萌鉄道廃止後、明治村に保存される予定で、車体を補強して名鉄東名古屋港駅まで運ばれたのですが、車体の状態が余りにも悪く、結局台車のみ保存されることになりました。
私自身、北海道には現役時代、昭和42年と44年の2回行っております。総本家・青信号特派員さん筆頭に、皆さん蒸気機関車を中心に撮影されておられましたが、私は簡易軌道と私鉄を中心に回っておりました。写真3〜5は天北線の小頓別と歌登を結んでいた歌登町営軌道です。
写真1と2は昭和42年9月6日幌新で、3〜5は昭和44年9月8日歌登で撮影
【ホハフ2854.jpg : 98.0KB】
【ホハニ201.jpg : 96.8KB】
【歌登自走客車.jpg : 39.4KB】
【車内(4).jpg : 47.9KB】
【ロータリー車.jpg : 40.4KB】
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