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1泊旅行の年、6月6日(土)だったと思うが、DRFCは他国へ日帰りの旅に出ている。50年前、創立の年は思いつきで梅小路機関区や市電壬生工場に出掛けている。5、6人が突然「見せてください」と行っても、どこでもOKとなり案内役がついたものだ。2年目ともなると会員数も20人を超え、それなりに会としての体裁も整ったようだ。新入生を迎えたところで「何処かへ行こう」と、希望先を例会で聞いたように思う。「敦賀で交流電機見学」と提案があった。そこで2代目会長が交渉役となった。当時、会長は交通公社でアルバイトをしており、「鉄電」が引かれていたのでそれを利用して敦賀機関区のOKをとったと記憶している。旦那よ、どうやった?
さて、どのような軌跡を取ったのか、本隊は京都8:04発511レ青森行で出発したと思われる。老人は7:36発124レ東京行で彦根へ、乗り換えは9:27発、気625レ柳ヶ瀬線経由敦賀行に乗っている、理由は田村で本隊を迎えるためで、E10→ED70付け替え作業に興味があったからだ。625レはキハ52ではなかったかしら。本隊に合流後は会長の指揮下に入ったと思われるが、幾度か脱線している。
敦賀一区はC58と86、DD50(新、旧)とDF50の配置であったが、DDしか撮っていない。介護士3号の好きな職用車を居ったはずだが、四国でDF40、DD50、DF50牽引列車にお世話になったことからと思われる。二区ではED70の説明を受ける場面では抜け出した。交流電車がある建屋を見付け、これに関心をしめし潜り込んだのだ。幸いなことに架線電流が落としてあり、自由に見せてもらえた。そしてラッキーなことに天窓があり車庫内が明るかった。F3.5解放で1/15露出のNEOPAN SSでの姿をご覧いただこうと思う。この日は梅雨入り前で曇天であった。
細々した解説は哲男君にお任せしよう。老人は走っているのを見たことがない。敦賀といえば他国で京都圏ではない。直流電車が走るアーバンネットワーク外でのことだから、見たのはこれ一度切りのことになった。このあと九州へ送られモハ421系の露払いをしたそうな。
帰路は敦賀16:04発、512レ青森初発14:43、大阪行きに乗車、京都19:18着。この512レは大阪終着20:09。走行時分29時間26分に及ぶものであった。DRFCにはこのような鈍行に乗車した輩もいらっしゃるので、いずれ道中記が披露されることに期待しよう。
京都〜敦賀間 113.5km 270円(学割で往復運賃)。今なら135円区間往復?やで。
【交流電車の正面.JPG : 77.1KB】
【交流電車の全景.JPG : 65.3KB】
【交流電車の車内.JPG : 77.5KB】
【交流電車の台車.JPG : 72.9KB】
【交流電車の運転道具.JPG : 61.5KB】
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