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飯田線や阪和線が続き、拙老も確か少し撮っている筈と、またネガ箱をひっくり返し(全く整理がなっていないので、何か探すとなると全部目を通す必要あり。5万分1地図も然り。ヒマだからいいか)、拙い写真をご覧に供する。
撮影は1952年12月22日だから55年半前。戦時中防空壕の中で半年過したためレンズがカビに犯され、おまけにテッサーf2.8/50mmという、元来があまりピントのいいレンズではなかったのが、余計甘くなったバルジィーナなる、ドイツ製スプリングカメラであった。親に無断で持ち出した。
フイルムだけでもまともな代物(当時なら富士FPかSP=感度が32か64だった)ならいいのだが、当時映画カメラマンの助手が残尺(撮影の僅かな残り)を小遣い稼ぎに持ち出して写真屋に売った映画用で、それはパーフォレーションの形が少し違う(角がやや丸い)ので分かる。
現像してみないと感度すら不明。何回使ったか分からんパトローネに詰め、1本150円ぐらいだったか。純正品の半分以下だった。
当時の記憶は乏しいが、社型の電車はまだ自連である。ところが制式電車は密連で、制式と社型の併結もあったから、これは密連に換装していたのか。拙老はこのあたり全くのドシロウトだから、どなたか教えて下され。
モハ43は俗に「合の子」(差別用語としてその後は使わなくなった)と称した旧京阪神間急行用の広窓車(というくらいは、幾らなんでも拙老でも知っておる)。ED20は天王寺での入換中。
【クタ7005.jpg : 336.3KB】
【クタ7000番号不詳.jpg : 335.7KB】
【モハ43.jpg : 349.2KB】
【ED203.jpg : 339.8KB】
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