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西村雅幸様
懐かしい写真有難うございました。それにしても私を含めて皆さん若い。まあ40年前ですので当然かも知れないですが、このメンバーが集まれば、写真を肴に一晩中でも話が尽きないのではないでしょうか。
キニ3の撮影場所を考えてみました。車両の向きから考察すると近江今津方面から浜大津行と考えられます。ホームは相対式で下りホームには待避線が見えます。相対式ホームは、新旭、高島町、真野、日吉(後日上り線を撤去して棒線化)、滋賀の5駅、真野、日吉、滋賀には待避線が存在しないので、新旭と高島町に絞られます。あと一つ給水等の存在もヒントで、高島町は昭和2年12月25日より4年6月1日の安曇川(当時の駅名は安曇)延長まで終着駅でした。以上のことから撮影場所は高島町駅、正確に言うと昭和18年4月以前ですので大溝駅と考えられます。唯、高島町駅は上りホームにも待避線がありましたが、これは後日の設置ということで如何でしょうか。
ここから本題です。
江若鉄道廃止後、キハ5121+ハ5010+キハ5122の総括編成とキハ5120、話題のキニ6改造のキハ5123の5両は関東鉄道に譲渡され、総括編成とキハ5123は竜ヶ崎線に、キハ5120は常総線に配置された。また、加越能鉄道に譲渡されたキハ5124も同鉄道加越線廃止後、関東鉄道に譲渡された結果、江若鉄道総括編成の全車両が関東鉄道に終結した。
以下、関東鉄道入線間もない頃の画像を紹介したい。
1.鉄道部一同からのエール 昭和44年10月30日 三井寺下
他社に譲渡が決まった車両は廃止前の10月30日までに三井寺下を後にし、新任地に向かって出発した。各車両には鉄道部一同からのエールが貼られた。
2.キハ5121+ハ5010+キハ5122 昭和45年3月15日 竜ヶ崎
譲渡後、約半年経過しているが、江若時代と全く変わらない姿で活躍していた。画像は竜ヶ崎駅であるが、江若の駅と変わらない雰囲気である。
3.キハ5123 昭和45年3月15日 竜ヶ崎
竜ヶ崎線は江若からの4両で、予備車1両(キハ40402)を除き在来車を置換えた。こちらも竜ヶ崎駅であるが、江若和邇駅のような雰囲気である。上記の総括編成と共に社紋を書き換えただけであとは全く変わらない。
4.キハ5120 昭和45年3月15日 水海道
関東鉄度のメインライン常総線に配置されたキハ5120は、さすがに江若時代のままというわけにはいかず、塗装変更され、元の方向幕の所に「5120」と書かれた。画像は元小田急のキハ753と組んだところである。乗客の多い常総線では、やや小さ過ぎたため筑波線に転属し、同線の廃止時まで活躍した。
5.キハ551(元キハ5124) 昭和50年1月3日 水海道
キハ5124は加越能鉄道に譲渡され、加越線に配置され、江若時代の塗装のままで使用されていた。僅か3年後の昭和47年9月15日で同線が廃止となり、関東鉄道に譲渡された。関東鉄道では、ロングシート化、片運化、中扉の両開き化等を実施の上、常総線に配置された。
【キハ5121お別れ.jpg : 130.9KB】
【キハ5121.jpg : 90.9KB】
【キハ5123.jpg : 86.0KB】
【キハ5120.jpg : 121.4KB】
【キハ5124.jpg : 64.2KB】
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