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※長老のご依頼で代理投稿
大西顧問を偲んで
出たぁーと思った。30年ほど前のこと、EVEで久しぶりに顧問に会った。「しゃべりにおいでよ」と声掛けがあり伺ったら、巻物を取り出された。神戸鉄道局の線路図であった。西から追ってゆくと桂川橋梁を前にして漢字表記が目に入った。「避溢きょう(木へんに共)」である。顧問は「桂川増水の時の洪水対策の施設があるらしいが、「きょう」の漢字としての意味がわからん。」とつぶやかれた。身近な漢字を趣味対象とする人に尋ねてみたら、中国語の煉瓦積みのアーチ型の構築物の事だと、教えてくれた。これで2人の疑問は解消した。
それで遠出の出来ない顧問は、老人に現地を観察するように下命された。竹藪の傍から自転車で30分弱、下津林地区は東海道線を挟み水田が残っており、農業用水路が2ケ所で築堤を北から南へ抜けていた。そこを潜ってみたら上り線(北側)複線分が煉瓦造りであった。5年ばかり前、仕事で現地近くへ出向いた時に立ち寄ってみたが、築堤には金網柵があり立ち寄れなくなっていた。水路は残っていたが、既に役割を終えたようで、農家組合の管理下から離れたのであろう。
顧問が晩年に煉瓦に拘っていたのを覚えているメイトもいると思う。今出川校地の建物群の調査を始めた結果、図書館で資料集めに没頭、中でも隧道の煉瓦巻きに興味を示していた。写真を撮って来いの注文を受けたメイトはいないかな?製造所と運搬方法まで調査対象であった。京都では桂川べりの川勝寺(せんしょうじ)村ー現在の阪急西京極駅西南一帯)で製煉工場があったことが知られているが、ここで造られたものが川船で送られたかも……と、2人で想像して楽しんだものである。
実は老人のあばらや近くにもいくつか「きょう」」がある。よく知られているのは6連だ。長岡京市馬場の地で、本掲示板の管理者宅近くである。JR京都線長岡京駅上り方で下り複線分がそれである。露出している。この「きょう」については向日市側に建設の経緯に関する資料が残っていた。(つづく)
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