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暑かった夏も過ぎ、北京オリンピックも終わり、時の移ろいを感じさせる今日この頃、掲示板で夏の話題を独占していた(?)江若鉄道もそろそろ終わりを迎えます。
私なりに江若のことを纏めて見ました。
【1533】で大阪通信員さんがクイズを出された運賃表は、藤本さんが新旭駅と解答されています。新旭駅は終点・近江今津駅に近い駅です。なにせ運賃の高い江若のこと、なかなか奥地へは行けず、ついつい本数も多い南部に行くことが多かったため、新旭の写真は、最終日当日に列車から写した駅名標しか残っていません【写真1】。きっとこの奥にくだんの運賃表があったのでしょうね。この運賃表で気になっていたのは、北浜・淀屋橋までの連絡運賃が495円と、5円の端数が出ていること。当時、大人運賃は10円単位のはずと思っていました。当時の時刻表に戻って調べてみると、10円単位なのは国鉄だけで、一部の私鉄はまだ5円単位の運賃が残っていたのですね。
でもなぜ新旭の運賃表が大阪・日本橋に安置されているのでしょう。
【1532】で西村雅幸さんがワフ450の模型を製作されたとのこと、私も貨物列車の最後尾にチョコンと連結されていた緩急車を思い出します。廃止当時、江若には、12両の貨車が在籍していました。ただ、貨物列車は国鉄から直通の貨車ばかりで、自社貨車はほとんど動くことはありません。ただ、2両あった緩急車だけは、常時、貨物列車の後部に連結されて使用されていました。ワフ450【写真2】は、元国鉄ワフ28000で、昭和24年江若入線です。有蓋車・緩急車は戦前から鋼製でしたが、戦時中に製作された同形式は、資材不足のため、再び木製に戻っています。
【1524】で西村さんがキニ3竣工時の写真を発表されました。その写真を探求されていた須磨の大老が、わずか2時間でその写真データを入手され、クローバー会の連携と通信の進化にいたく感動され、昼から一人で祝杯を上げられたという逸話を聞きました。そのキニ3、のちのハフ3は、三岐鉄道キハ1〜5と同形と大老から聞きました。三岐のうち1両が別府鉄道へ転じ、キハ2になっています。確かに江若ハフ3【写真3】、別府キハ2【写真4】の荷台を取り去った姿は同形だとよく分かります。ちなみに江若ハフ3は、荷物室は撤去、客室化、別府キハ2は実質キハニで製造のため、荷物扉があります。
大老からは私のリクエストに応えていただき、最盛期の水泳列車を披露していただきました。どうしても読みたかった「鉄道ファン」の記事の出所も教えていただき、感謝いたします。
最後は、文字どおり江若最後の日の仲間です【写真5】。同志社北小松学舎に泊り込み、最終列車を見送って三井寺下車庫へ戻ってきたときの記念写真です。キハ11には廃品を使って徹夜で作り上げた当会のヘッドマークが燦然と輝いています。掲示板でお馴染みの藤本さん、西村さんの姿も見え、故大西友三郎顧問の姿も見えます。後のDCが走ることはもうありません。昭和44年11月1日、どこまでも秋の青空が広がっていました。
【写真1 新旭駅.jpg : 104.0KB】
【写真2 江若ワフ450.jpg : 136.8KB】
【写真3 江若ハフ3 .jpg : 173.9KB】
【写真4 別府キハ2.jpg : 151.4KB】
【写真5 最終日.jpg : 243.9KB】
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